『例え、夜に灼かれても』サンプル - 1/6

 癖の強いタバコをくゆらせながら、ベッドの縁に腰かけていた男は笑った。
「マナトは漢字が読めないんだっけ」
 マナトと呼ばれた青年は、セックスのあとのくたびれた身体でなんとか寝返りをうって男の方を向いた。硬い枕にサイズの合っていない窮屈な首輪がこすれて痛み、客の前であるにもかかわらず素直に顔をしかめる。
「そりゃガッコーには通ったことないけどさ、ちったぁ読めるよ」
 義務教育を受けていなくても、テレビのテロップや広告の文字なんかで漢字も多少は読めるようになっていた。
 身体を起こし得意げな表情を見せるマナトの裸が、いやらしい雰囲気をつくるために華美に装飾された照明によって露わになる。
 ブリーチを繰り返した金髪、縦に線を引いた傷によって塞がれた左目、先ほどの情事で付けられた数々の跡――血が滲んでいるものも含めてじろりと男は一瞥し、満足げににやりと口角を歪めた。そしてベッドサイドに置いてあるアンケートの紙とペンを手に取り、何やら書いてマナトに示した。
「これ、何て読む?」
「んだよ、馬鹿にしすぎ。『あいじん』だろ。テレビで見たことある」
 男の記した「愛人」の文字を払うように紙の端を指ではじくマナト。しかし男は首を横に振り、「愛」の字を示してみせた。
「マナト、この漢字は」
 「まな」って読み方もできるんだ。
 数秒だけぽかんと口を開き、それから男の真意を理解したマナトはくしゃりと鼻皺を寄せて思い切り笑った。
「ぎゃはは! じゃあオレの名前は『愛人』ってワケか!」
 不特定多数の相手に身体を売って暮らすオメガに「愛人」。自分に相応しいではないか。マナトは男の、傍から見れば失礼極まりない冗談に全く気分を害さず腹を抱えて笑った。
 むしろ「うまいことを言う」と感心すら覚えていた。怒りを覚える矜持など、とうにこの身に残っていない。営業的に相手を立てる意味合い半分、あとの半分で本気は「初めて言われたぜ」と男を褒める。笑いすぎて、少し前に別の客から殴られてできた腹の痣が少し痛んだ。