『ラスト・シークエンス』サンプル - 1/2

『ビューティフル・マイ・バディ』

 旧校舎の一室を利用した写真部に、思いもよらぬ闖入者が現れた。
「アンタが欅(けやき)くん?」
 後ろから聞き慣れぬ声に急に話しかけられた朔太郎(さくたろう)は、ビクリと身体を跳ねさせて思わず手に持っていたファイルを思い切り床に落としてしまった。
 クリアポケットから写真が滑り落ちて、埃が少し目立つフローリングにばらばらに散らばるのを「ありゃりゃ」と声をあげながら慌ててかき集める。そちらに気を取られたせいで、朔太郎は声の主を振り返るの忘れた。
「無視なんだ」
 名を呼ばれたときよりも幾分か硬い声でそう言われ、床にしゃがみ込んでいた朔太郎は恐る恐る振り返る。
 知り合いの誰とも一致しない声が誰のものなのか――朔太郎は彼の顔を見て「どうりで」と「どうして」という二つの言葉が同時に浮かんだ。かき集めた写真がもう一度手から飛び出そうになるのをなんとか力を籠めてこらえる。
「か、篝(かがり)くん。どうしたの?」
「欅くんに用がある。なきゃここまで来ない」
 部室の引き戸に身をもたれながら、志信(しのぶ)がどこか澄ました顔で朔太郎を見下ろした。一体何を考えている表情なのか、朔太郎には皆目見当がつかない。
 シルバーに脱色された髪、髪と同じ色のピアスがじゃらじゃらと付けられた両耳、彼が身を動かすたびにかすかに漂う煙草の香り。目の前にいるだけでも志信は強烈な印象を残すから、校内では悪い意味で有名人だ。
 朔太郎ももちろん彼を知っていた。しかし同じクラスになったことは一度もないから、他の生徒と同じように遠巻きに見て、いろいろ飛び交う噂を耳にしたりしなかったり、くらいしか知らない。それを「知っている」と呼べるのか朔太郎は自信があまりない。
 だからこそ、彼が写真部まで来た理由が分からない。今は朔太郎一人しかいないうえに旧校舎など教師も滅多に通らないから、カツアゲをするなら最適なタイミングである。
 身の危険をひしひしと感じつつゆっくり立ち上がり、朔太郎はおずおず返事をした。
「え、ええと……僕に何の用かな」
「欅くん写真部でしょ」
 朔太郎の返事を許可と見なしたのか、志信は部室にずけずけと入りあたりをきょろきょろと見渡す。傍若無人な態度だが、威圧的な雰囲気はさほど感じなかったのが、朔太郎にとっては意外に思う。
 こんな距離で初めて対面するので、朔太郎は怯えながらもチラチラと志信を観察した。「半グレがバックについている」だの「女を切らしたことがなく、今は五股している」だの噂されているが、少なくとも今ここにいる志信からはそんな凶悪な雰囲気は感じられない。
 一部の女子が密かに黄色い声をあげる、すっと通った鼻梁と薄い唇で形づくられた横顔は今、壁にかけられた額縁をじっと見つめていた。
 宝物のように大切に額縁の中に収まっている写真は、コンテストなどで入賞した作品――ほとんど朔太郎のものである。顧問や部員は入賞したときこそ褒めてくれるが、時間が経つと背景同然になってしまうため、こうして改めてじっくり見られると朔太郎は落ち着かない。
「その、写真に何か……?」
「うん。欅くんに用」
 なんだかいまいち噛み合っていない答えに、朔太郎は頭上に疑問符を多数浮かべるが、志信は気にも留めない。
 初めて話して、噂されているほど危ない不良というわけではないのは分かったが、それでも志信が動くたびに煙草の香りが漂うのが怖くて、朔太郎はそれ以上の質問ができずにいた。
 志信は写真をまじまじと一枚ずつ見つめ、朔太郎はそんな志信の後をついていくだけの時間がしばらく経ったとき。志信はふと「あっ」と声をあげ、朔太郎はそれに驚いて「えっ」と無意味な返事をした。
「これ、この前廊下に飾られてた」
「え? あぁ、それは……僕が撮ったやつだね」
 家から電車を乗り継いで行った県立公園は、秋の訪れのたびに木々が美しい深紅に染まる。風が吹けば大量の葉が舞って赤茶色の嵐となるが、朔太郎は紅葉がたった一枚、宙を漂い落ちる様を撮った。
 虫の音や葉擦れなど、自然からいろいろな音が聞こえてくる場所だが、朔太郎の写真はこちらの口をつぐむほどの静寂が伝わる。移ろいゆく季節のほんの一瞬を切り取って、光沢紙にそのまま閉じ込めたような。
「この写真、やっぱいいな」
「え?」
「オレ、今まで落ち葉なんて全然興味なかったけど、葉っぱもキレイなんだね」
 薄くて血色のあまりない唇が微笑めば三日月の形になった。そもそも予想だにしない客のうえに、まさか褒められるとは。
 朔太郎は何が起きているのか頭が追いついていないながらも、褒められたことだけはかろうじて理解できたので「ありがとう……?」と首を傾げながらお礼を伝える。
 自分が来たときから明らかに戸惑っている彼を見て、志信はもっと大きく口を開いて笑い声をあげた。
「分かりやすくビビってんな」
「え、いや、その」
「殴られるとでも思ってる? んなことしねぇよ。その代わりお願いがある」
 あっという間に笑顔を引っ込めると、志信は適当に置かれていた机に腰かけた。よく見ると、制服であるネクタイはかろうじてついているがゆるゆるで、ブレザーも当然のようにボタンが全部閉じられていない。
 そんな着方もあるのかと朔太郎が軽いカルチャーショックで自身のネクタイの結び目に触れているのを気にせず、志信は続ける。
「タトゥー入れるんだ、オレ」
「たとぅー?」
「両方の上腕と胸に、三月までに入れる予定。その経過と完成を写真に撮ってほしい」