『ねずみ色の渚』サンプル - 2/3

「ナギぃー! 次こっち!」
「へいへい」
 太陽が絶好調の昼過ぎ。オレは楽園を出て『わんぱくステーション』でダラダラ汗を流していた。
 夏休みのチビっ子どもは怪獣とタメが張れる。木と木を組み合わせて武器をつくったり、アスレチックの上で果敢にも鬼ごっこしたり暴れまくり、叫びまくりでたまに怪獣同士で火を吹き合う。学校に行かないせいで溜まりに溜まっているパワーを発散しているのだろう。
 オレは怪物に従う人間。いい感じの木の枝を拾ったり、武器が壊れたら直してやったり、おんぶとか誰かを支えなきゃいけない行為以外はだいたい言うことに従っている。今は自由研究で出すという工作の手伝いをしていた。
「んで次はこれをワイヤーでくっつけて!」
「はいよ、ってこれじゃ細すぎ。もっと太い枝拾ってきな」
「えー! そんなの落ちてなかった!」
「もっと探す! あでも、その前にあっちな。そのあと一緒に探してやってもいいぞ」
「むーっ! えらそーなやつ!」
 オレの腰くらいしかないタイセーがむくれてオレを睨みつけたあと背を向けて、水飲み場のある日陰へずんずん向かっていった。ふくらんだほっぺは赤くて、汗でツヤツヤしていた。タイセーがゴクゴク水を飲みだしたのを見届けてから手元に視線を戻すと、髪をまとめているバンダナから漏れた汗が手の甲に落ちてきた。
 タイセーが作りたいらしい鉄砲は、持ち手にふさわしい枝がなかなか見つからない。さっきアイツが持ってきたヒョロヒョロの枝をどうしようか悩んで、誰かの分に使うかもしれないと思って、とりあえずツナギのポッケに突っ込む。
「ねぇねぇ、ナギサ」
「ん、どした?」
「おいしいこれ、欲しい?」
 同じくほっぺをふくらませたカレンがなにやらとても楽し気にクスクス楽しそうに笑っている。小さすぎる手の隙間から、抜けた歯の目立つ口と、その中にある白くて丸いものがが見えた。
「お、ちょうど欲しかったわ! くれるの?」
「えぇ~どうしよっかなぁ」
「頼む! 神様、仏様、カレン様!」
「まったく、ナギサはしょうがないなぁ」
 タブレットを舐めているせいで余計に舌足らずになっているカレンがエヘンと胸を張り、枝や葉っぱまみれのポッケにそっと塩タブレットを差し入れてくれた。他のスタッフさんがいつもみんなに配っているのをカレンが持ってきてくれたのだ。
「んーうまい! ありがとな」
 袋を破って口に突っ込めば、甘じょっぱい味が汗だくの身体に染みる。彼女を真似てほっぺにタブレットを入れてふくらませてみせたけど、カレンは急にそっぽを向いて「じゃーね」と行ってしまった。うーん、女の子ってなかなか難しい。
 適当に転がしていたマイボトルの麦茶を飲むと口でいろんな味が混ざったけど、最適な水分補給だろう。おかげで茹でられかけの気分がかなりマシになってきた。でもそんな休みも束の間、スタッフさんからもらったタブレットを口でごろごろ転がしているタイセーが戻ってきた。
「おら、水いっぱい飲んだよ。行くぞ!」
「わかった、わかったから引っ張るなって」
「うわ、タイセーがナギサに宿題やらせよーとしてる」
「あ?」
 小学校でタイセーとガキ大将の座を競いあっている(らしい)ユーイチがにやにやと彼にちょっかいを出した。二人が喧嘩するとそこそこ派手なので少し焦る。
「こらユーイチ。お前は宿題終わったのか?」
「うるせー! これからやるんだよ!」
「それじゃ、オレたちと一緒にやるか?」
「はぁ!?」
 二人のキンキンした馬鹿でかい怒鳴り声が重なる。耳を押さえつつ「ほら自分の宿題に集中!」とでもからかい返してやろうとする。
 だけど、ユーイチが思い切り顔をしかめてオレたちにアッカンベーをしてみせたのが先だった。
「ナギサなんていてもじゃま! 工作だってロクにできねーくせに!」
「なんだとー! ナギサだってボンドくらいは使えるし!」
「ウソつけ! しょっちゅう物落とすしワイヤーの使い方だってヘン!」
「だからボンドは使えるからいーじゃん! ワイヤーだってたまに使えるぜ!」
「はは……庇ってんのそれ?」
 彼なりの親切心を汲みつつ、ムキになってユーイチに掴みかかろうとするタイセーの肩を押さえる。
 しょっちゅう物を落とすし、ワイヤーもうまく使えない。ボンドも正直ちょっと怪しい左手は、ちびっ子のちっちゃい肩を押さえるのも、今はちょっと頼りない。かすかな震えが伝わってないといい。
 子どもは正直だ。見たものを素直に信じやすい。オレの工作が下手なのは本当。わかっていたけど、こうやってオレがどう見えているのか突きつけられるたびに、心のどこかが硬直する。
「こーらお前たち! また三島さんに迷惑かけて!」
 思わず言葉に窮してしまい、なんて言おうとか困っているとナイスタイミングで怒声が飛んできた。ギクリと思わず身体を跳ねさせる。
 振り向くと長老が眉を吊り上げて仁王立ちでちびっ子たちを見下ろしている。鬼も逃げ出すほどの迫力だ。
「ぎゃー長老きたー!」
「にげろにげろー!」
 大人のオレが若干怖気づく長老の強面に全く臆さず、怪獣ははしゃぎながら散り散りに去っていった。
「まったく……いつもすみません」
「いえいえ、長老さんもお疲れさんッス」
「ハハハ……おい待て!」
 かっちり陽に焼けた顔に鬼の形相を刻んで子どもたちを追いかけだす。オレよりひと回り以上も上なのに、子どもたちと全力で遊べる体力と根性には恐れ入る。
 すげぇ、と感心しながらぼんやり眺めていると、尻あたりをぺたりと触られた。
「はい、ナギサ鬼ね」
「え、オレも混ざってんの?」
「あたりめーだろ!」
 くしゃくしゃでパワフルな笑顔がオレを見上げると、一目散に逃げだした。

 夕方、といってもまだまだ陽は出ているけど、五時のチャイムが鳴ったらちびっ子たちはおとなしく帰らなきゃいけない。
「ナギサまたなー!」
「おう、まっすぐ帰れよー」
 こんなに暴れまわってもまだまだ遊び足りない彼らは、それでも素直に『わんぱくステーション』から止まることなくどんどん出ていく。小さい背中を見送ればあっという間に豆粒みたいになった。
 昼よりも長い影の伸びるアスファルトが眩しくて目を細めた。思い切り遊んで土まみれになって、お母ちゃんやお父ちゃんのいる家に帰る。自分の中にはない光景に、不思議な懐かしさを見出しそうで、同時にうらやましくも思う。
 チビッ子たちの姿がみんな見えなくなると、ようやく肩から力を抜けた。気温もあってこの時期は特にシフトが入るたびにクタクタになる。
「お疲れ様。今日もありがとうね」
「こちらこそ、いつもお疲れ様ッス」
 仕事中は百面相を見せてくれる長老が、すっかり人のいい穏やかな笑顔でオレをねぎらってくれた。
 NPO法人が運営している『わんぱくステーション』は、地域の子どもたちの格好の遊び場だ。自然そのままの草いっぱい、そして木登りし放題の広場もあれば、有志が建てたアスレチック遊具もある。テーブルもあるから夏にはこうやって自由研究で工作に励む子が多いし、冬には焚き火をたいてお菓子を焼いたり、とにかく外で遊びまくりたい奴にとっては天国みたいな遊び場だ。
 長老はオレや恭ちゃんが小学生のときからここの管理人をしている。そのときは「サトウさん」って呼ばれてたけど、ずっと長いこと居続けるからか、長老なんて呼ばれるようになったのを知ったときは笑ったものだ。
「この時期は帰省する子が多いから、シフト入ってもらって助かってるよ」
「いーえ。オレも楽しんでやってるんで」
「ハッハッハ、見た目は派手になったけど三島くんは変わらんなぁ」
 そう? てっぺんがすっかり黒色になった金髪に触る。
 襟足を覆いきるくらいには伸び放題だし、危ないからバイト中は付けてないけどピアスもけっこう開けている。そのせいで最初は「不良が来た」とちびっ子たちに遠巻きに見られた。
 黒染めするって言ったけど、長老、もとい佐藤さんはそのままでもいいと返した。「みんなすぐに三島くんを好きになるよ」って。そのおかげで怪獣たちに振り回されてもなんとかやっていけていた。
「片付けや私や他のスタッフさんでやるから、今日はもうあがりでいいよ」
「え、いいんスか?」
「三島くんには今月たくさん入ってもらってるからね」
 佐藤さんは、オレの左手が微妙なのを知っている。それでも、こうやってバイトとして雇ってくれるから佐藤さんの優しさには頭が上がらない。
「あざッス」
 深入りしないまま人と付き合っていくってこういうことだと知る。何かを察しているから、詮索するような真似もしない。他の人たちも、オレの外見も理由だろうけど、佐藤さんという抑止力があるからオレにとやかく聞いてこない。
 大人は子どもと違って、目に見えたものからあれこれ想像するけど、少なくともオレの耳には何も届いてこない。オレと他の人には間違いなく一線が引かれていて、オレは腫れ物には違いないけど、それが心地いいと思える距離感だった。
 「また明日」、佐藤さんや他のスタッフさんに手を振られて草の匂いのする場所を出た。蒸し暑いけど、ちょっとだけ吹いている風が汗を冷やしていくのが気持ちいい。この辺は住宅街だから、この時間だとすれ違う人はほとんどみんなスーパーの袋を引っさげている。
 今日の夕飯、どうしよ。バイトから抜けたら思考はすぐにオレと恭ちゃんの生活のことに切り替わった。
 ――住むには困らないけど、娯楽は足りない。今みたいな暑い時期は、電車に乗って少ししたところにある海に遊びに行く人が多い。でも都会寄りの海だから一年中汚くて、地元の学生は間違いなく掃除のボランティアに駆り出された経験がある。
 開発されるのはちょっと行った先のところばかりで、何年も経て変わったのは住んでいる人の歳と視界の高さくらい。この場所から出ようと何度も思ったけれど、オレの住処はどうあがいてもこの街らしい。
 それでもオレはいいのだ。名前も忘れた知人に見られようが、聞こえないところで噂されようが。恭ちゃんさえいれば。
 恭ちゃんは今日も残業だ。何か手の込んだ、見ただけでわっと声をあげるようなものでも作ってやりたいけど、家に帰ってシャワーを浴びたら今度は夜勤が待っている。少し無理してシフトを詰めた気もするけど、そのぶん金は手に入るから、せめてうまい惣菜くらいは買って帰りたい。
 今日は何が安いんだっけ。スーパーのチラシを確認しようとスマホを開くと、夜勤のシフトの予定だけが画面に出ていて、恭ちゃんからはまだ何の連絡も入ってなかった。