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「あぁ、冬馬。おはよう」
「北斗…おはよう」
楽屋に入ると雑誌を読んでいたらしい北斗がいた。メイク前だからか眼鏡だし髪も下ろしている。別々で向かう場合、仕事はいつもと言っていいほど俺が一番乗りだから北斗がこうして先にいるのはかなり珍しかった。
「今日早いな」
「よく寝られたからたまには早く出るのもいいなって。冬馬は?」
レンズ越しに俺の顔を見て、そっと溜め息を吐くように「あまり寝られなかったのか」と尋ねた。北斗へのメールの返信では大丈夫だと答えたけれどそんなものただのその場しのぎでしかないらしい。苦い気持ちを噛みしめる。自分の目の下あたりの肌を撫でると少しざらついている気がした。
「俺、そんな顔色悪いか」
自分でも思わぬほど小さな声で尋ねる。北斗はわずかに目を細めて俺を見つめると――軽く笑って手招きする。なんだと思って近寄れば手首を掴まれ引っ張られた。突然の行動によろけて軽く鈍い痛みと共に北斗の胸元へ倒れ込む。
「冬馬いつも早く来るじゃん。時間まだかなり余裕あるよ」
「な、何言って」
「起こしてあげるから目閉じるだけでもしなよ。そんな怖い顔してたらまた翔太に顔怖いよって言われるぞ」
北斗はそのまま俺の身体を押して無理に寝かしつけた。
ちょっと待て、この姿勢はまずいんじゃないのか。慌てて身体を起こそうとすると今度は肩を押さえつけられた。「いいから」と俺を見下ろす北斗は笑顔とは一転、ちょっと怒ったようにも見える真面目な顔をしている。
「膝枕くらい別に変じゃないよ、おとなしく寝てろって」
「でも、…枕は座布団でいいって」
「…冬馬って俺にしがみついて寝てるときすごい気持ち良さそうに寝るよな」
ぐぅ、と変な声が出た。北斗は俺の頭を撫でると、俺は何ともないですとでも言いたげな表情でまた雑誌を読む作業に戻ってしまった。
気持ち良く寝られてたまるか! 大声で反論したい気持ちを抑えるのに胸が疲れる。だいたい今と北斗の部屋とじゃ状況が違いすぎるし、北斗が今履いてるのはジーパンでごわついた感触が伝わってきて寝心地は良いとは言えないし、とここまで色々考えて、だけど北斗がいつも身につけている香水の匂いを吸い込んだとき、俺は確かに北斗の部屋にいるときみたいな安心感を覚えて、それが瞼に重石を乗せたようだった。雑誌のページをめくる音と、空調の効く音しか聞こえないのもますます眠気が増す要因になっているかもしれない。
ふわりとした空気みたいな眠気が瞬時に訪れて、やっぱり俺は疲れてるんだろうかと思った。だけどそんな疲れるようなことをした覚えが本当にないんだ。髪の先を指でいじられているのが分かる。それすらも眠気の材料になった。
うとうととしながら今日の朝のことを思い出して、俺はやっぱり寝られてなかったのだとようやく素直に認識できる気がした。黒井のオッサンの声がはっきり思い出せる。歌がなければどう生きていくんだ。歌が、なければ。
「そういえば、今日のことプロデューサーは何て?」
少しずつ遠ざかる意識の中で北斗の声が聞こえる。すっかり目を閉じていた俺はなんとか口を動かした。
「…現場スタッフや出演者には、ジュピターに歌を振らないようにお願いしたって…」
「そっか」
「…ごめん」
「なんで謝るんだよ。俺と翔太もフォローするから」
頬に触れてくる指先はひたすら優しい。…あぁ、やっぱり北斗の側にいるとなんだかよく眠れるようだ。ぼんやりとする視界の中で俺が去年のクリスマスにプレゼントした北斗の腕時計が見える。このまますとんと眠りに落ちることができたなら一時間近く寝られそうだ。目覚めは最悪だったけれど、早く来た甲斐もあるかもしれない。そう考えていると、目の前が少しずつ、夜になっていくみたいに暗くなっていく――。
