物言わぬ沈丁花

 まさか花なんてもらうと思わなかったと、ほろ酔いで浮かれた足取りの天道がへらへらと力の抜け切った笑みを浮かべた。三月はもう近いというのに、きんと冷えた風が頬を撫でる。天道が間抜けな顔でくしゃみをしたのを僕はすぐ横で見ていた。
「桜庭もしゃれた奴だよなぁ」
「…うるさい」
 自分でもどうかしていると思うような行動だったからあまり深く追及されたくなかった。嬉しいよ、と呟く声が夜の冷たい空気に流されてそっと消える。天道が両手に抱えるように持っている、花屋の名前が印字されたビニール袋には小さな植木鉢が入っていた。サイズがやや小さいのか、ビニール袋の口からは白い花が今にもこぼれ落ちそうで僕はそれが少しだけ気になった。
 天道は歩きながらしょっちゅう目の前に袋を掲げては「良い香りだ」と少し呆けたように白い溜め息をつく。まさかそんなに大きな反応をもらえるとは思わなかった。交友関係が広くて友人の多い天道のことだ、きっとこの植木鉢が簡単に隠れるほどの大きな花束だってもらったこともあるだろう。花束を受け取って、とうに見慣れた笑みを広げる天道の顔を想像するのは容易かった。
「ところでまだ聞いてなかったけど」
 僕の知らない、メロディラインが掴めない曖昧な歌を上機嫌に口ずさんでいた天道がふとこぼす。街灯に照らされた顔はほんのコップ半分のアルコールで赤く染まっていた。手袋に覆われた指先で花弁をとても慎重に撫でる。
「なんだ」
「この花、なんて名前なんだ?」
 普段は響いてうるさいくらいの天道の声は、今だけはなぜか隙間風のようにすっと冬の冷たい空気によく馴染む。僕は花の名前を教えることで、そこから理由を尋ねられるのが嫌だった。なるべく天道の目を見ないように顔を逸らす。何と言おうか選択するために僅かな間が空いた。
「沈丁花だ」
「じんちょうげ」
「ちょうど今の時期に花を咲かせるらしい。…店員がそう言っていた」
「そうなのか」
 天道はもう一度香りを確かめるように、冷気と酔いで赤くなった鼻を近づけてから「こんなに良い花、本当に嬉しいよ」と揺れる白い息と共に笑う。
 先程終わった誕生日パーティーでも柏木や他のアイドルからも数えきれない量のプレゼントをもらっていた。僕のプレゼントはそれらの中ではあまりに小さく、天道が腕にぶらさげている紙袋やビニール袋の中に埋もれてもおかしくなかったのに、どうして彼はここまで喜びを露わにするのだろう。理由を尋ねたい気持ちは、特別な意味を見出したくない意志に抑えられる。ふらつく天道を誘導するため腕を引っ張ると、プレゼントの入った袋同士がぶつかって、がさりと大きな音をたてた。
「なぁなぁ、さくらばぁ」
「なんだ。あぁもう、ふらつくな、危ないだろう」
「いやぁ、その、…ありがとうな」
 天道が立ちどまり、僕の肩に頭を乗せる。酔いのせいか、首筋近くに感じる彼の体温は少し熱かった。気分が悪いのかと尋ねる前に天道は抱えた植木鉢を胸にきつく抱き締めて言葉を続けた。
「だって桜庭はこの花、なんか理由があって選んでくれたんだろ?」
「……」
「教えてくれたっていいのに。俺ほんとに嬉しいんだぜ、桜庭が俺のこと考えてプレゼントくれたこと」
 まったくシャイなんだからなぁ、とおどけて笑う天道についに溜め息が出て僕は先を歩いた。すぐに天道は「ちょっと待てよ!俺酔っ払ってるからぁ!」とついさっきまでの隙間風のように静かな声が嘘のように大声を張りあげる。がさがさと荷物が揺れる音と共に天道の足音が聞こえた。僕が横にいなくても、彼は一応真っ直ぐ歩けるようだった。酔った彼を見かねて、つい言葉が出て「送る」と言った数分前の僕を止めてやりたい。

 …どうして天道はこうも人の気持ちを見透かすのだろう。おどけて冗談を言って、明るい赤茶色の目はどこまでも人の心に入り込んでくる。理由なく花など買うはずなどなかった。僕は白く咲き誇る沈丁花に、誕生日の贈り物という意味以外のことを見出してしまっていた。沈丁花を勧めた花屋の言葉が蘇る。知識を読み上げただけの言葉に、僕は何か別のイメージを頭の中で浮かべたのを否定できずにいた。
 だけど天道は僕の他意を知らなくても構わない。心からそう思う。彼は多くの人々の好意に囲まれているのがとても似合う男だ。僕の贈り物に対しても、深い意味を勘ぐったりせずただ笑顔を浮かべているだけでいい。僕はそれで良かった。たかがプレゼントで天道の思考をどうこうしようとは思わない。
 ただ。

「…天道」
「なんだよ」
 追いついた天道が拗ねたように唇をとがらせる。うまく抑えている気持ちが外れて出てこないように、僕は最後まで目を合わせずに天道に告げる。
「その花、枯らすなよ」
 当たり前だろ、と答えはすぐさま飛んでくる。ほとんど反射的な速さだった。だけど僕は、天道が僕のこんな些細な言葉を守ってくれたら、それだけで良かった。

《了》