中から見る雨

 事務所のソファに腰掛けながら、神谷は窓越しに鉛色の分厚い雲を見ていた。
 テレビが梅雨入りを宣言したのがつい昨日のことだが、その前から陽を見ない日が続いていた。神谷は雨を嫌いなわけではない。『雨に唄えば』――先日カフェパレードの面々で観た映画のワンシーンを思い出すと、雨もなかなか楽しいではないか、そうとすら思っていた。
 しかし、肌にまとわりつく湿気と昼間というのに薄暗い街はなんだか気が滅入る。プロデューサーと約束した時間より早く来てしまったが、台本や受け取っている資料を読み返すのも中途半端な時間だ。
 温かい紅茶でも淹れて身体を温めようか。そう思い立ったとき、見計らったかのように事務所のドアが開いた。

「おや」
「おや」

 お互い顔を合わせて同じ言葉を発し、そして同じタイミングで頬をゆるめた。

「幸広、お疲れ様」
「みのりさんも。なんだか事務所で会うのは久しぶりですね」
「そうだね。元気?」

 渡辺は手に大きな花束を抱えている。そこから覗く小さく瑞々しい青色の花弁が、渡辺の着ているピンクのシャツによく映えた。
 目を奪われた神谷はそのまま、渡辺の質問で返事をしてしまう。

「みのりさん、それ……」
「あぁ、これ。事務所の花瓶を入れ替えるよう、賢にお願いされてて」

 がさり。渡辺がラッピングを開いてみせると、身を寄せ合った花弁がこぼれ出した。
 渡辺の店から持ってきたのだろうか。今の空とは対象的な、透けるブルーの花々は、道中で打たれたらしい雨粒を受けて弾けるように咲いている。

「紫陽花かぁ。今の時期にピッタリですね」
「見慣れた花だけど、やっぱりキレイだよね」

 花束をテーブルに置いた渡辺は、花瓶を持って水換えのために一度その場を離れる。
 先ほどまで重たい雨空を見ていた神谷の目には、その鮮やかさがとびきり冴えて映った。事務所へ行く道にも咲いているが、まじまじと見ることはなかった。プロデューサーも賢も喜ぶに違いない。

「……あぁ、わかった」
「ん?」
「室内で紫陽花を見たことないかもなぁって。だから見慣れた花でも全然印象が違います」
「なるほどなぁ。季節で選んだけど、確かにそうだね」

 慣れた手つきで茎を水の中で切り、形を整える。渡辺もまた、神谷と同じことを考えていた。
 これを見た恭二やピエール、プロデューサーが喜んでくれるといい。今まさに目を輝かせて紫陽花を見つめる神谷のように。

「なんだか初めて見た花みたいだ」
「うん、言われて初めて俺も気づいた」

 二人はしばし無言で、テーブルの上に佇む紫陽花を見つめる。窓の外が仄暗いからか、優美な雰囲気はそのままに、モノクロの世界にカラーインクを垂らしたような鮮烈さで紫陽花は咲き誇る。
 早く、この美しさを分かち合いたい。二人の思いは同じだった。しかしまだ少しだけ、プロデューサーが来るのには時間がかかりそうだから。

「みのりさん、紅茶を淹れますがどうでしょう?」
「いいのかい?」
「ええ。俺もひと息つこうかと思ってたところだったので。それに、素敵なものを一番乗りで見られたお礼も、ね」
「ふふ、それはラッキーだな」

 雨の日もやはりいい。身体にまとわりつく湿気は相変わらず重たいが、予期せぬ出会いがあるから。
 自然と口ずさむ鼻歌と共に神谷は棚からティーカップを取り出した。自分、新しい気づきを与えてくれたみのり、そしてもうすぐ来るであろう、自分たちの親愛なるプロデューサーの三つ分。

《了》