やがて灰に還る、

「カエンは家庭を持つ気はないのか」
「なんだ、藪から棒に」

 里から抜け出した者の後始末をあらかた終え、刃物に付いた血を拭っているとゴンゾウがそんな話を切り出してきた。
 絢爛な光で我々を惑わさんとする大都市からマイカの里へ続く途中、空を覆い尽くすほど枝葉を伸ばした鬱蒼と生い茂るこの森には、数えきれない死体が埋まっているはずだ。それを養分にして、ますます都と里の隔絶を深めんとしているのではと思うくらいだった。
 そんな場所でする話ではないことくらいの判断はできた。意図せずかすかに眉間に力が入ると、ゴンゾウが慌てて「すまん」と首を垂れる。

「お前からそういった浮いた話を聞いたことがないから」
「そう訊くゴンゾウはどうなのだ」
「拙者には言うほどのことがないから、こうしてお前に尋ねているんだ」

 普段はそれぞれ任務を請けていることもあり、こうしてゴンゾウとたわいのない話をするのも久しぶりだった。
 もっとも、この会話もフウガ様の従者に聞かれている可能性もあったが、これくらいなら取るに足らない、その場限りの話題だろう。ゴンゾウもそれを理解して私に話しかけているはずだ。
 二人で並び歩く。月光のひとかけらも入らないから、ゴンゾウがどんな顔をしているかなど、夜目が利いても把握しにくかった。

「拙者はきっとこの先も家庭は持たないだろう。縁談などもってのほかだ」
「何故」
「この頃、里の子どもたちに妙に懐かれているのだ。嫁などいないのに息子がいる気持ちにさせられる。……これで充分すぎるくらいだ」

 爪の間にこびりついた血を乱暴に忍び装束で拭い、ゴンゾウはほとんどひとりごちるように呟いた。虫の鳴き声すらしない、重たげな静寂に満ちた夜だ。
 ゴンゾウにしては口がよく回る。吐き出す先を求めていたのだろう。何かの言葉の代わりに、同じ立場の人間として沈黙で返した。
 ――昼時に探察へ出て、まだ寺子屋にも入って間もないくらいの子どもたちに囲まれているゴンゾウを何度か見かけたことがあった。
 その中に混じる、坊主頭の男児が奴にいっとう懐いている。木々の上からではゴンゾウがどのような表情で子どもたちに接しているかまでは見通しがつきにくかったが、そこまで観察すべきではないというのが私の解答だ。

「分かっているだろう」

 あの子どもの、快活に動く顔が似つかわしくない。年相応だとしても、目鼻立ちにあの方の雰囲気を帯びている。

「俺の心身はフウガ様と共にある。それが答えだ」

 ゴンゾウもまた、私に返す言葉など持たないらしかった。そのまま足音もなく、里へ続く坂をのぼっていく。
 そもそも私の血に繋がる何かがこの世に残るなど、今までの人生で考えたことがなかった。私にはフウガ様がいればよかった。フウガ様がこの先も里の未来を拓くためにある、今生限りの身体なのだから。

+++

 物心のついた頃から、私には両親というものがいなかった。
 孤児として寺で育てられた者の宿命なのだろうか、皆が当然として与えられているものを、己で得なければならない。親に頭を撫でてもらう子どもを見るたびに、年齢にしてはずいぶん醒めた目で彼らを見ていた。
 元からないものを想像するのは難しい。親代わりになってくれた寺や里の者に感謝こそすれども、それ以上の愛着などは終ぞ湧かなかった。私の周りに人こそいるが、隣には誰もいない。それが当然だったから、孤独に苛まれることもなかった。
 そんな私を見つけ出し、初めて声を掛けたのがフウガ様だった。

『カエン。お前、剣術の腕があるようだな』

 挨拶もなくそう話しかけられ面を食らう。
 フウガ様。タンバ様の息子だから、皆が敬称を付けて呼んでいるのを耳にしたことがある。しかしこうして話をするのは初めてだった。
 だから名を呼ばれて尚更驚いたものだ。まさか存在を知られているとは。

『有り難きお言葉』
『フン、図に乗るな。お前を褒めに来たのではない。釘を刺しに来たのだ』
『……?』

 今とそう変わらぬ吊り眉を一層のこと吊り上げて、フウガ様は私を嘲笑うように見下して腰に差している木刀の柄を握った。

『将来、マイカの里の長になるのはこのフウガだ。名ばかりではない、実力でもお前がとても敵わない者になってみせよう。ゆめゆめ忘れるな』

 それだけを言い残し、背後に連れていた手下らしき者たちを引き連れてさっさとその場を離れてしまった。
 確かに今日の稽古では剣さばきを褒められたが、それをきっかけにフウガ様へ目をつけられたのかもしれなかった。一方的で会話と呼べるものではないかもしれないが、フウガ様との記憶を辿ると、私はこの場面へ辿りつく。
 そして、目ざとくも気づいたことが、現在に繋がっているのかもしれなかった。余裕を纏うフウガ様の掌に付いた、細かな傷の数々に。
 滑りの悪い木刀を握り続ければ皮はおのずと剥ける。それを繰り返してばかりで回復の追いついていない掌を見れば、フウガ様が当時からどれだけ鍛錬に骨身を削っていたか、幼心にも気づけた。
 だから私は、漠然としながらも思ったものだ。この方はまさしく、里の長に相応しいと。その方に声を掛けられた今この瞬間は、のちのち大きな意味を持つ予感さえ覚えていた。

 ――フウガ様は己に掛けた言葉を呪詛に近い約束だとするように、鍛錬へ心血を注いだ。私も一層のこと励んだが追いつけることはなかった。その代わりあらゆる者を実力で振り払い、フウガ様に名を呼んでいただくことが日常となった。
 お近くにいさせていただいているからこそ、周囲に関心のなかった私でも見えてくるものがある。里の外れ者であるはずのモクマとフウガ様の確執、その陰にあるタンバ様の計り知れぬ影響。
 フウガ様のことだ、タンバ様とコズエ様、そして妹君のイズミ様に愛され生きているものだと頭から思っていた。
 しかし、寵愛を与えるはずの存在から、文字通り血の滲む努力をしても得られない。どんなに傍にいても、捉えてほしい視線は別の者を見る。元から親などいなかった私と違い、どれだけ苦心されていることか。
 それをフウガ様が我々の前で口にすることはなかった。それも含めて、私はフウガ様をお強い人だと尊んだ。ないものを得るより、与えられたはずのものを求めるほうが厳しいはずなのだ。
 元服の儀も近い頃、私はフウガ様に頭を下げた。

『フウガ様は里の長になるに違いありません』
『……だから何だ』
『このカエン、マイカの里の未来、そしてフウガ様のために使っていただくよう、契らせていただきたく』

 これこそ私の一方的な敬愛だった。しかし、元より行き場のない身だ。どうせこの先も生きるというならば、フウガ様に付き従いたい。都で流行しているという賭博の存在を耳にしたときは眉をひそめたものだが、何かに「懸ける」思いを、私はフウガ様を通じて初めて知ったのだ。
 幼い頃、フウガ様に声を掛けていただいた、否、名前を知っていただいていたときからだ。そこで覚えた感情がある限り、私の心身はフウガ様のものだ。

『……カエン、ゆめゆめ忘れるな』

 目の前にフウガ様が立ち、顎を掴まれた。顔をあげると、漆黒に等しい瞳が私を見下ろしている。あまりに黒くて、私が映っているかも分からない。
 ――数年経ってからようやく思ったものだ。フウガ様はある時からもう、家族というものに期待の欠片も寄せなくなった。最も尊敬していたはずのタンバ様もその目に映す必要がないから、光も宿さなくなったのだと。

『お主だけは私に従え。例え四肢がもげようともその忠誠を欠かすな、いいな?』

 手を滑らせて私の頬――後にフウガ様によって火傷の痕が付く箇所に触れた。
 フウガ様が正式に長となった際に配下となる人間は決まっている。しかし、その誓いを誰よりも早く口にしたのはこの私だ。
 水に混じる泥の、ような。
 喜びとも違う、言いようのない仄暗い感情が私の胸を確かに支配した。耽溺に近い気持ちを噛みしめると、フウガ様にまたしても与えられてばかりだと痛感したものだ。

『有り難き幸せ』

 私は、役割を、身分を、感情をフウガ様から与えられた。
 何よりの幸福であるはずだったし、今もその確信が揺らいだわけではない。
 しかし、あのときは思いもしなかったのだ。
 フウガ様が親という身にもなるとは。

+++

 暗闇にぼう、と浮かぶ灯篭の光が妖しく揺らめく。
 敷かれた布団の上にフウガ様は寝間着で身体を横たえている。私が入ると上体を起こし、薄い唇を三日月の形にしてみせた。

「カエン」
「何でしょう」
「主、家庭を持つ気はないのか?」

 やはりゴンゾウとの会話を知られていたか。言葉の雰囲気から、彼に処罰が下ることはなさそうであることをまず察知して安堵する。
 はだけている箇所から乳白色の肌が照っている。脚は露わになっていて娼婦同然の身なりだ。
 それを窘めるのは私の役割ではない。同じように着物の帯と、ついでに髪を結っていた紐をほどき、フウガ様に覆いかぶさるように姿勢を崩した。

「ありません」
「あの化粧師の女はどうなのだ。カエン、主はずいぶん懇意にしているようだが」

 腰に脚を絡められ、喉元あたりに舌を這わされると背すじに言いようのない震えが走った。
 顔の火傷を隠すための化粧粉を調合している女の顔が一瞬脳裏に浮かぶ。火傷の理由を聞かずとも、気をかけてくれる、距離感を誤らない優しさに自身が甘えているのは事実だった。
 しかしそれが最も優先される事態など存在しない。フウガ様の頬に手を添え、眦を指でなぞれば涼やかな目は細められる。

「私が最もお慕い申し上げているのはフウガ様、貴方だけです」

 返事の代わりに瞼が閉じられたから、それを合図に唇を重ねる。互いにもつれ、やわらかな布団へ身体を沈める。
 襟足を掴まれるが痛みはない。舌先でやわらかな接点をなぞれば、フウガ様も合わせて唇を開いた。そのまま舌を入れると、粘膜同士が擦れる濡れた音が吐息に混ざって聞こえた。
 フウガ様にご負担のないよう身体を浮かすが、腰に絡んだままの脚で引き寄せられた。一層深く咥内に侵入させた舌で顎の上を撫でれば、すぐ下に敷かれた身体が少し弓なりに逸れ、互いの距離がますます近くなる。
 薄目で表情を見れば、苦しげに眉間に皺を寄せ、頬は部屋に入ったときよりもかすかに紅く染めていた。

 ――この私しか知り得ない、滴るほどの官能がどれだけのものか、この方は理解しているのだろうか。

 息がますます荒くなるその手前で一旦唇を離す。

「……っふ。カエン、なんとはしたない」
「く、ぅ……」

 股の間に膝が割り入れられ、浅ましい熱を持ち始めていた部分を膝頭で押される。刺激のままに劣情を催し奥歯を噛みしめると、フウガ様は心から楽しそうに頬を歪めて笑った。
 ほとんど羽織っているも同然だった寝間着を脱ぐと、下着すら召されていなかったらしいフウガ様はあっという間に一糸まとわぬ姿となった。
 薄闇に浮かぶ、陶器の質感の肌。体毛は極力剃っているから一見滑らかだが、しかし反発者との諍いによる傷跡はしっかり刻まれていて、そこだけが少し色濃い。息があがって上下する胸の先はさらに濃く染まっている。フウガ様の陰茎もまた、既に熱によって形を持ち始め、先端から滲む水滴は灯篭の光を反射した。
 唇から覗く舌が最も赤い。先ほどまで絡ませていたそれで己の唇を舐める様は、白蛇を想起させるのだ。しなやかな肢体を蠢かせ、黒真珠の瞳で獲物を捉えると、腕と脚で絡めて仕留める。
 獰猛だが、隠し切れぬ神聖さを湛えている。私はさしずめ追い詰められた獲物だ。あとは喰われるだけの、成す術のない。

「その欲情しきった愚かな顔、ゴンゾウや他の者が見たら何と言うだろうな」

 行為の最中、フウガ様は私の知人の名を出すのを好んだ。嗜虐的な言葉で私の内にある罪悪感を引っ張り出し、この背徳を再認識させる。
 しかし、私の今の視界にはフウガ様しかいない。目の前に最も敬ってやまない方がこうして私を禁欲の奥底へ誘(いざな)っているのだ。どうして他の者が優先されようか。

「もう挿れるか?」
「っ、いいえ」

 私の着物を脱がすと、フウガ様は私の陰茎に手を添えて自身の尻へ近づけた。先端で感じ取ったそこは既にしとどに濡れていて、ひたりと吸いつく感触に歯噛みする。私が来る前に入念な準備がされているのを容易に窺わせた。
 フウガ様は嗜虐的な面を持ちながら、しかし、同時にこうして無理のある性行為を強請ることがあった。身体に間違いなく響くというのに、構わないと言って聞かない。そして言葉に従って腰を動かすと、痛みに顔をしかめながらも喘ぐのだ。フウガ様の欲を満たしている一方で耐えられぬ思いがあった。
 フウガ様の手をそっとほどき、浮かぶ汗でよりしなやかさを纏った身体に掌を這わすと身体がびくり、と怯えるように跳ねた。

「よろしければ私も、お身体に触れさせていただきたく思います」
「ふっ、ぅ、本当に、愚かなものだ。男の私に欲情しきっていると?」
「はい。たった一人の主であるフウガ様を心からお慕いし、そして焦がれてやまないのです」

 諦めたように目を閉じると、フウガ様は舌打ちをし、そして身体の力をゆっくり抜いた。
 フウガ様はなぜ愛撫を嫌がるのか。得られずじまいだった愛情を快楽で包んだものを与えられても不快なだけだろうか。しかしこうして閨を共に過ごす以上、私もフウガ様を少しでも労わりたい思いがあった。
 先ほどのフウガ様を真似るように喉元から舌を這わせ、徐々に下り、胸元に口づける。空気に触れて硬くなった乳首を舌で撫でてから吸いつく。

「う、くぅ……ん」

 もう片方の胸を掌で包むと、指が筋肉の張った肌へかすかに沈んだ。
 私たちは行動の跡を残さないために、服を含めて匂いを身体につけることはないに等しい。しかし、フウガ様の低く通る声が快楽で少しずつ上ずっていくと、得も言われぬ色香がたちのぼる気がしてならない。現にこうしてフウガ様の身体に触れていると、先ほどよりも自身の陰茎がますます張りつめていくのを感じていた。
 そのまま唇を滑らせて、肌のあらゆるところへ口づけてゆく。脇を伝う汗へ唇を寄せれば、濡れた音が響くのと同時に、あばら骨の硬さを感じた。

「あ、ぁう、くっ」
「フウガ様……」

 名を呼べばフウガ様の肌が粟立ち、怯えるように身体を震わせた。腰骨に親指を這わせて撫でれば腰が浮きあがる。フウガ様の起ちあがった陰茎から先走りがあふれ、丁寧に処理された下生えの跡へぽたりとしずくを落とす。
 それを指先につけて伸ばせば、他の場所とは違う、さりさりとした手触りが伝わった。切なげに震えるフウガ様の陰茎をそっと包み、先走りと己の舌で充分濡らしてから扱いた。

「ぅ、あっぁ! あぁっう、ん」

 身を捩って太腿を震わせてフウガ様が喘ぐ。髪の毛を強く掴まれ、一瞬強い痛みが走った。同じ性を持つ同士だが、フウガ様が快感を得る場所は己とは少し異なる。それを知ったうえで触れられることに、いつぞや感じた仄暗い悦びがますます胸の内でふくらむのを覚えるのだ。
 鬱血痕が付かない程度に時折内腿に強く吸いつきつつ、精を放つ前に滲む体液で濡れそぼった先端を掌で撫でると、フウガ様は自身の指を口許に持っていき、ますます大きくなる寸前の声を耐える。

「ぐぅ、う、ふ……っん、くぅ、う」

 これ以上はお身体にいよいよ障ってしまう。一度身体を離すと、息をすっかり荒げたフウガ様が放心して宙を見つめてくたりと脱力した。お互い普段から括っている髪がほうぼうに乱れ、私の髪がフウガ様の頬付近へ垂れると、フウガ様はその刺激にすらも身体を震わせた。
 膝を掴み開いて、陰茎をフウガ様の尻に当てがう。ほんの少しでも力を籠めたら最後、あとは沈んでいくだけの熱に目眩を覚えた。

「フウガ様」
「は、ぁ……くそ、早く挿れろっ」
「……お言葉通りに」

 陰茎を押し進めれば、溶け出しそうな粘膜に包まれた。事前に使用したであろう油が程よく繋ぎ目を潤し、ますます滑りを良くした。
 もう少しだけ腰に力を籠めると、先端に少しだけ硬さを持った部分を感じた。そこを刺激するために抜き差しを小刻みに繰り返すと、肉同士がぶつかり合う音が響いた。

「あぁっあ! カエン、ぅう、ぐ、ぁっ!」
「は、ぁ……フウガ様っ」

 どちらのものかわからない吐息は湿り気が混じっていた。フウガ様の脚を抱え、腰を打ちつける。理性が溶けてなくなりそうなのを寸でのところで堪えてなんとか力を押さえるものの、フウガ様の中はとてもやわらかく、瞬く間に下腹部から射精の欲がこみあげる。
 汗が入りかけて滲む視界でフウガ様を捉える。快楽に喘ぐ表情は苦悶と紙一重だ。腰を揺らすたびにぱちん、と音をたてて腹にぶつかる陰茎は先端から先ほどよりもずっと多い体液をあふれさせてフウガ様自身の身体を汗と共に濡らしていく。
 ふと、フウガ様が事の始めのように脚を私の腰に絡ませた。

「く、ぅあ、カエン……おく、奥へ、っ!」
「……っ」

 これ以上は痛覚すら感じるだろうと思ったが、言葉を呑みこみフウガ様に従う。もう入らないところまで腰を押しつければ、骨同士がぶつかって硬い痛みが私にも走った。

「が、ぁあ! はぁ、ん、カエン、カエンっ! あぁっあ、ぁ」

 フウガ様は白い喉を露わにして私の名を呼んだ。快楽と苦悶の狭間、気をやりそうなのかフウガ様は私の背に爪を立てて縋りつく。
 私はこの瞬間を、途轍もなく堪らなく思う。私にフウガ様の証のようなものが刻まれていく気がした。この火傷のように死ぬまで残っていればいいのに、とすら願う。化粧と同じ、服や何かで隠してしまえばそれは「私だけのもの」になるはずだ。

 ――何よりも、自身の命よりも貴くお慕いしている方の「何か」を所有したい欲望は、従者には許されないものだろうか?

「っく! フウガ様っ」
「あっん! はぁ、あっ、かっカエン、か、はぁ……ああぁっ」

 穿つように最奥に精を放てば、後を追ってフウガ様も射精し、腹と胸を己の白濁で濡らした。フウガ様の肌よりも白いそれはぬらりと艶めいて光り、栗の花に近い香りを放つ。
 ぞく、と背に震えが走るが、下腹部に再度熱が集まる前にゆっくりと陰茎を引き抜く。弛緩して力の入り切っていないそこから、私がフウガ様に打ちつけた子種がとろり、とこぼれ出した。

 湯を含んだ綿布で身体を清め、この部屋に来たとおりの格好へ戻る。フウガ様はご自身の寝間着を羽織っただけの姿で、事後の疲労にしばし放心しているようだった。
 関係を結んだ初めはお身体のお手入れまで行おうとしたのだが、頑なに拒まれた。そこまでは命じていない、と。

「……では、ゆっくりお休みくださいませ」

 夫婦に交わされるような睦言など私たちの間にはない。私はフウガ様の肉欲を処理する役目を終えたあとは、最低限の言葉でこの部屋を出て行くだけなのだ。
 背を向けると、喉を震わせる、くつくつという笑い声が聞こえた。何事かと思い振り返ると、フウガ様が剝き出しの腹をさすっていつもの三日月の笑みを浮かべていた。

「カエン。お主、よく中に出すようになったな。以前は無遠慮に腹にかけていたものを」
「……ご不快でしたら、」
「まぁ良い」

 髪を掻き上げて露わになる顔は既に私を見ていない。片頬だけ吊り上げた笑いは自嘲にも見える。フウガ様が何を考えられているのか、私には図りかねた。

「どんなに子種を注がれようと、私は孕まん」

 ――フウガ様に望まぬ子どもができてから始まった関係だった。男同士だと都合がいいのだ。フウガ様のおっしゃる通り、どんなに私が精を内に放ったところで子を宿すことはない。
 そのおかげで、何度も夜を共にしたところで残るものは何もない。フウガ様の淫靡に揺れる肉体も、堪えきれぬ喘ぎ声も、何よりやわらかい中の感触も、朝が来る前に浚われて元通りになる。
 それでいい。いいはずなのだ。

「もう戻れ」
「……失礼いたします」

 引き戸を閉め、自室へ向かう。外の警備に出ているのか、誰の気配もしない屋敷の廊下を歩く。
 これから眠りに就くというのに、夢から醒めた妙な気分だった。暗闇に目を凝らすと、屋敷の飾り物や隠し扉ではなく、なぜかあの子どもの顔が浮かぶのを、頭(かぶり)を振って追い出す。
 先ほど、性交時に自分が思ったことが否応なしに反芻された――フウガ様の「何か」を所有したい欲望。夜の冷気にあてられて少し考えれば、あってはならないものに決まっているのがまざまざと理解でき、血の気が引く思いだった。
 私の手は、フウガ様の手。この足も、身体も、心すらも。私はフウガ様だけに従い、あの方からのみ、この身体は傷つけられる。
 背に残った爪痕は少し経たないと消えないことを思うと、――なんと愚かなことか、一番に湧く感情は喜びなのだ。
 浅ましい。行為の最中、フウガ様は何度も私をそう罵る。返す言葉もない。あの暗闇を宿した瞳に、私の愚かさをどこまで見透かされているのか、言いようのない不安に駆られる。
 しかし、フウガ様は私に他の者ではこなせぬ任務を命じ、日がしばらく経つと私を寝室に呼ぶ。
 それがあの方のお傍にいられる何よりの証だと信じるほかないのだ。それさえあれば、私は良かった。フウガ様の拓く先が、私の人生の行く末だ。
 子どもも、終ぞ想像で描くこともなかった家庭もいらない。私の中にだけ、フウガ様の証が残りさえすれば、それで、――。

+++

 墜落していくだけしか残されていなかったあの方を、最後まで追い続けた。
 屋敷が崩れるのと同じように、私の身体が炎に巻かれて焼け焦げ、一部が欠け落ちていく。しかし、とうの昔に火傷を宿した身。痛みよりも先に、フウガ様の居場所がどこかの焦りだけが身体を動かす。
 無様にも脚が縺れて転げても、なんとか身体を起こして、灰に染まった煙に覆われたあたりを探す。

「フウガ様……っ!」

 喉の中も灼けついているのか、声はみるみるうちに出なくなった。頼れるものは、出血が多いせいでろくに回らない頭と霞んでいく視界だけだ。
 煙も炎も立ちのぼり続けて留まることを知らない。ゴンゾウだけでも逃れているといいのだが。奴にはコテツもいるのだ、死ぬべきではないだろう。
 私に残された時間もあと僅かであることを既に悟っているが、最期を迎える前にひと目フウガ様にお会いしたかった。会ってどうすべきかまでは考えられずにいたが、理屈ではない力でがむしゃらに身体を動かす。
 いよいよ脚が動かなくなっていき、縋る思いで私は足元の瓦礫を払いのけた。無謀そのものだ。しかし、私を嘲笑う者はここにはいない。指先の皮膚が破れて血がこぼれる。何もかもの感覚が失われていく。
 ふと焼け落ちた木材が私の身体に落ちてきた。目の前がぐらつき、あえなく倒れる。それをきっかけに次々と瓦礫が私の上にのしかかる。肺が潰れて、息すらまともにできなくなった。
 せめて、あの方に、フウガ様に。
 私の祈りは届かない。もしフウガ様が奇跡のように目の前に現れても、もう私の目はその御姿を捉えられないかもしれない。感覚も痺れ切って、己が何に押しつぶされているのかも分からない。
 この心身、フウガ様のものであったというのに。どうせ地獄に堕ちるなら、あの方の背を記憶に刻まれるくらいもっと見つめていれば良かった。
 耐えがたい虚しさ、無念さに胸が冷え、煙に燻されているはずの目の表面は不思議と湿ってくる。

「……あぁ」

 ――私は今際のときにようやく知ることができた。
 この最期にして、またフウガ様に与えられたものがある。
 もう二度と回復することのない悲しさ、だった。

 塞ぎようのない穴を胸に開けたまま、私は死に至る。
 死に対して怖さなど持たない。だが、後悔だけはある。あの方を最期まで守り切れなかったこと、そして――こうして死を共にできなかったこと。

 最期まで、私たちの間に遺されたものなどなかった。

 一人で生まれたものは、一人で死ぬ運命にあるらしい。私たちが生きた証である城や肉体は骨ごと炎に焼きつくされ、またたく間に灰に還る。
 この魂、すり潰されるのであればフウガ様の命(めい)で消えてしまいたかった。
 そうすれば、私はあの方に少しでも何かを遺せただろうか。
 夢物語だ、仮想の話だ。家族と共にある姿さえ描けなかった私が、何を。それでも、私の中にフウガ様が積み重なっていくように、私も、フウガ様の心のどこかに、――。

「フウガ様」

 お慕いし、何度呼んだかも知れない名を呼んだ。
 ごう、と勢いを増した炎に巻きこまれた身体は、やがて自分でも姿を捉えることはできなくなった。

《了》