テエブルに愛、ひとさじ

「しかしアバウトなものだよなぁ」

 輝は企画書をパラパラとめくりつつ思わず苦笑いを浮かべる。アスランは渋い顔のまま、先ほどから口をつぐんだままだった。
 次回のテーマは「家庭の味」。毎度違う芸能人がお題に沿って料理を振る舞う人気番組への出演の決まった輝とアスランは、プロデューサーが来る前に集まって何を作ろうか打ち合わせをする予定だった。
 この番組は315プロダクションの他の面々も出たことがあるが、視聴者受けを狙っているのか指定する妙なテーマで出演者を悩ませていた。「放課後に食べたいもの」「ひとしきり運動したあとのご褒美」などなど。
 それぞれ冬馬が具のギッシリ詰まったカレーパン、誠司がプロテインカップケーキを披露して見事好評を博した結果、次は輝とアスランの二人での出演が決まった。
 さて何が来るか、料理を得意とする二人に待ち構えていたのは至ってシンプルかつ抽象的なテーマだ。

「それまでシチュエーションにこだわってたみたいなのに、ここに来てざっくりしてるよな」
「うむ……」
「家庭の味かぁ……」

 家庭の味。家でよく作られるものを指すのだろうか。輝は頭にこれまで自分が実家で数多く食べてきたものを浮かべる。
 カレーライスやハンバーグ、ミートソーススパゲティやシチューなど。どれも慣れ親しんものばかりだが、番組の絵面的にもう少し工夫が求められるはずだ。
 何がいいだろう。輝もまたこれまでの出演者同様頭を悩ませつつ、チラリとアスランへ視線をやる。
 料理においてはプロフェッショナルの彼だ、きっとこの打ち合わせも身を乗り出すほどの勢いで参加してくれると輝は思っていたが、会議室に入ったときから顔色が少し芳しくない。
 企画書に目を落とし、眉間にシワを寄せてほとんど無言を保っている。普段の突き抜けるような笑い声が彼から聞こえないのが不安で、輝はつい口を開いた。

「アスランもやっぱ難しいか? このテーマ」
「む? いや、我は……」
「家庭の味って言われても困るよなぁ。アスランはプロのシェフだし、逆に困るんじゃないか?」
「……あぁ」

 少しのきっかけだけあれば、アスランは自分で答えを見つけてそこに向かって動き出す。北海道では志狼やキリオに連れられながらも楽しげに笑い、そして北の味覚を味わうときにはうってかわって真摯な顔つきになったのを輝はよく覚えていた。
 彼は今、何かに難儀している。やはりテーマの曖昧さだろうか。

「アスランも、いいものがピンと来ないか? 俺はそうなんだけど」
「……そうだ」

 肩に乗せているサタンにそっと触れて、アスランは企画書を握る手に無意識に力を篭めた。
 世間的に認知されている「家庭の味」ならもちろん知っている。その「家庭」が父母や兄弟、姉妹のいるものを指すことまで。
 ――単なる淡い感傷だ。「師匠」が振る舞ってくれた料理はさまざまな国で日常的に食べられているものも含まれていた。湯気の立つ食卓に腰かけると、理屈無しに安堵して笑みがこぼれたあの気持ちを思い出す。
 ふとアスランが顔をあげると、輝がじっと彼を見つめていた。いけない。慌ててアスランが身じろぎする。

「テル、違うのだ! 我はその……」
「うん」
「……じつに不甲斐ない。闇の眷属たちが悦楽に浸るほどの精製術を思い至るには、あとわずかな知恵が必要なのだが」
「そんな気を張る必要ないと思うぜ」

 専門分野でアスランがこうも弱気になるとは。疑問に思いつつ輝はひとまず笑って励ました。
 テーマも沿って、かつ番組も盛り上がり、次の事務所の仲間にもまたバトンが渡せそうなもの。なかなか難儀である。輝は頬杖をつきつつ、おもむろに口を開いた。

「――俺、中学生の頃はいろんな部活に駆り出されてたんだけどさぁ」
「そうなのか?」
「もういくら食っても腹減ってしょうがなくて、親にも呆れられたよ」

 いろいろな部活の助っ人をしていたから、校門を出る頃にはヘトヘトの充電切れ寸前で、とにかく腹が減ったと仲間と口々に言い合いながら帰路についていたのがかつての日常だった。
 そしてやっとの思いで家に着き、玄関のドアを開けた瞬間、夕食の匂いが鼻をくすぐると自然と顔がほころんで、「ただいま」よりも先に料理の名前を聞くこともたびたびあった。家庭の風景を思い出すと、料理の並ぶ食卓よりも、家に帰ってきたときのあの楽しみのほうが輝にとって強く思い出された。

「ご飯って、食べる前に何が出てくるかワクワクするよな」

 やがて、家のご飯を食べて大きくなった身体で自分が料理を作るようになった。

「あのときの感じが、桜庭と翼と飯を食うときに似ている……」

 二人の顔を思い出しながら喋っているせいか、言葉尻が自然と途切れて消える。
 一緒に外で食事をとるとき、輝が振る舞うときや、三人で協力して何かを作ることもある。作る料理は決まっているのに、翼が大きな掌を少し持て余しながら食材を切ったり、薫が嫌々としたしかめ面で調理器具を持っているのを見ながら自分も台所に立つと、一人で作るよりも完成品がどうなるかの期待がふくらんでいく。
 そうして、三人で同じものを食べて口々に味の感想を言い合い、そしてたわいのない話で盛り上がり時をゆるやかに過ごしていくのだ。
 つい最近も、久しぶりのオフだというのに結局三人で集まって自分の部屋で昼食をとったことを思い出して、輝は思わず軽い笑い声をあげてしまった。

「なんか家庭の味ってより仲間内で食う飯って感じだな」
「……いや、あながち誤っていないぞ、テル」

 神妙な面持ちで頷いたアスランがやがてみるみるうちに瞳を輝かせてバッと振る音が聞こえるほど腕を広げてみせた。

「我も同胞たちと晩餐を共にする機会が多い故、ひとつここはシモベの者どもを驚嘆の極致に導いてやろうぞ!」
「それって俺たちのユニットがよく食う飯を作るってことか?」
「うむ。カミヤとソーイチローは冷徹なる闇を帯びた豊穣の糧を好んで口にする。マキオやサキは黄金の衣を纏いし朱紅の馳走を赤き涙で彩るのだ」

 先が見えてきた。アスランは頬を紅潮させてカフェ・パレードの面々の好む料理の名前を並べる。
 仲間に何か振る舞うことはあるのか、というのはよく寄せられる質問だ。口頭で答える機会はあったものの、実際に作っているところを見ればファンも喜ぶだろう。何より、彼らが喜びそうなものを考えるのはとても腕が鳴る。
 ついさっきまで沈黙を保っていたとは思えない饒舌さに少しだけ面食らいながらも、アスランにつられて輝も破顔した。

「俺、派手に凝ったものは作ったことねぇんだけどその辺はお願いできるか?」
「アーハッハッハ! 来たる日までに一片の隙もない精製術を生み出してみせようぞ!」

 ――間違いなく、薫と翼のことを話す自身も、同じ顔をしていたのを確信して。

《了》