ここまでずっと三人だった

「俺、ドラマチックスターズやめようと思ってさ」

 いつもの居酒屋に入ったときからハッキリしない態度で俯いていた天道が、全く減っていない酒のグラスを握りしめながらそう言った。なんとなくそんなことを予感していたから僕はたいして驚かなかった。むしろようやくか、といった気持ちで隣の柏木に目をやると、柏木も僕と同じだったらしくそうですか、と普段とあまり変わらない口ぶりで言った。

「なんだよ、お前らもっと驚けよな」
「いや、まぁ、驚いたは驚いたんですが…」
「最近の君の様子を見ていれば考えてることなんて筒抜けだ」

 最近の天道はプライベートな時間では思い詰めた表情ばかりしていて、しかし彼の場合僕や柏木が尋ねなくともいずれ彼の方から自身の問題を口に出すことをもう知っていた。ただ、考えていたよりも少しだけ時間はかかった。柏木が一度グラスに入ったカクテルを飲んで、天道を見つめる。その目は天道の言った言葉の意味を見透かしているようでもあった。

「輝さん。アイドルよりもやりたいこと、できたんですね」
「…お前らには全部バレてるのかぁ」

 敵わないと言うようにようやく天道が笑った。久しぶりに見る笑顔だった。柏木もそれにつられたのかいつまで経っても変わらない、人の良い笑みを浮かべる。だけど僕は、やはりやめると聞くと笑顔になんてとてもなれず、今後このユニットをどうすべきか、自分はどうするかを考えていた。
 天道がときどき何か物思いに耽ったり思い詰めた顔をしたりするようになったのは、テレビの企画で慈善事業の一環に参加したときからだった。その時限りのことで終わらせたくないと思ったのだろうか、彼の本質も長い年月を経た今でも全く変わっていないらしい。ただ僕たちは幸運にも忙しい身だ。歌やダンスのレッスン、テレビやラジオの収録、雑誌のインタビュー――やることはとても多くて、他のことを考える暇なんてあまりなかった。
 もうデビューした頃とは違う。天道もプロだ、自身の私情を仕事中に出すなんてことしなかった。だけどカメラの無いとき、誰も見ていないときにふと滲ませる表情はとても気が抜けていて、僕はその顔を見たとき、ここまでだ、と率直にそう思ったのだ。ここまで長いことやっていればとても大きな転機の1つや2つあってもおかしくないと心のどこかが感づいていた。

「どうしてもやめなければならないのか」
「え?」
「一時休止という手だってあるだろう。どちらにせよプロデューサーやファンには多大な迷惑がかかるのだから、それなら自分のために選択肢をとっておいた方がいいんじゃないのか」

 天道が一度は過去の全てを捨てて、長い時間をかけて手に入れたドラマチックスターズを手放したくないのは分かっているつもりだった。柏木がそうですよ、と僕の後に言葉を続ける。

「俺や薫さんは、輝さんが自分が選んだことにきちんと責任を持つ人だって分かってます。だから輝さんがアイドルじゃないことをやりたいと言っても心から応援できる。でも、ずっといないっていうのはやっぱり寂しいから…また戻ることができるのなら、三人でまた集まって歌いたいです」

 そう言って柏木は目を伏せて、ゆらゆらと揺れるグラスの水面に視線をやった。天道は口を閉じて僕たちを見つめて言葉を探しているようだった。何とも言えない空気が僕たちの間を漂ったけれど、僕から言うことは特になかった。ただ二人のうち誰かが何かを言うまでずっと待っているつもりだった。
 先に口を開いたのは天道だった。また俯いて、中の酒なんてとうにぬるくなっているだろうと思うほど強くグラスを握り締めて、中途半端なことをしたくないんだと言った。

「自分から引いておいてまた戻ってくるなんて都合が良すぎる気がして。元々俺は居場所をもらった身だから。お前たちがいいって言っても周りは…ファンや他の人たちがどう思うか。俺だけじゃなくてきっとお前らだって色々言われるんだぞ、それならいっそやめたっきりの方が」
「まるで僕や柏木が弱いとでも言いたいような台詞だな」
「違う、そんなつもりじゃない。でも」
「大丈夫ですよ。輝さんのことはファンの皆さんだって分かってると思います。そりゃ最初は戸惑いはするでしょうし変な噂だって流されると思いますが…俺たちのことをずっと見てくれた人たちなら、必ず待ってくれます」

 俺たち三人でここまで来たんですよ、もう何があってもびくともしません。そう言って柏木は笑った。眉尻を下げるいつもの笑みが泣きだしそうにも見えた。天道も瞳をわずかに潤ませて俺たちを見つめていた。ステージの上でしか見たことのない顔だった。
 ここまで来たと柏木は言った。思い返せば、毎日天道と何かしらの諍いを起こし、柏木の食事の量に呆れる生活の繰り返しがここまで来たのだ。そんな馬鹿げた日々が当たり前のようになったのはいったいいつからだったのか、僕はもうあまり覚えていなかったしこの二人も恐らく覚えていないだろう。ここまで、ここまでずっと三人だったのだから。
 僕のグラスの中の氷が溶けて音が鳴る。それが一つの、僕たちの合図である気がした。天道が僕たちに頭を下げる。少しだけ震えのかかった声がした。

「このユニットを、守ってくれよ」

 天道の赤茶色の髪は出会った頃からあまり変わっていない気がするのに、あれからもう随分時が経ったことを僕はこのときようやく思い知った。

 天道が脱退すると世間へ正式に発表されたときはやはり大騒ぎだった。テレビをつければ不仲、事務所トラブルなどといったくだらない雑音が毎日のように入り込む。雑誌も同じだったけれど、いつかは沈静化するものだと分かっていたからか、外野が何を言っても僕と柏木は気にならなかった。ただ、荷物をまとめて事務所から出ていく天道を見送る柏木はやはり寂しそうに見つめていた。僕はその横顔を見て、何をそんなに寂しがっているのかと思った。

「いつか戻ってくるのだからいつまでもそんな鬱陶しい顔するな」

 言ってから、僕は天道が戻ってくるとは遂に言わなかったことに気づいた。あの居酒屋でも、見送る最後の最後までも。柏木もそのことに気づいていたのだろうか。僕が言葉をかけても顔色を良くすることなく少し無理に微笑んで、そうですねとだけ小さな声で答えた。柏木は天道がもう戻ってこないと思っているのだろうか。僕は、僕自身が天道は必ずドラマチックスターズに戻ってくると確信していることに驚いた。何の根拠もないのに頭からそう思い込んでいる自分がいた。

 それから二人で活動することになったかと言えば、そうはならなかった。天道が抜けることに最後まで反対していたプロデューサーに、僕は歌で、柏木はモデルやタレントとしてお互いしばらくソロ活動をしてほしいと言われたのだ。
 話を聞けば、今まで三人揃って初めて成り立つ活動方針だったのに、急に二人になったところで同じ路線で売るわけにもいかないから、ファンが落ち着いて方針が定まるその間まで個々で活動してほしいとのことだった。一人でも大丈夫だと考えた僕は柏木に任せると言った。柏木も頷いたため、結局ドラマチックスターズはバラバラで歩んでいくこととなった。大事なことを決めるというのはひどくあっという間なことであるように感じられた。

「俺たち、今までもソロで番組出演とかやってきましたよね」
「あぁ」
「その期間がちょっとだけ長くなったって感じですよね」
「…そうだな」

 確かめるような柏木の言葉に僕はただ肯定するだけだった。柏木は疲れているようにも不安を覚えているようにも見えたから、僕が早く帰って休むように告げると、柏木は何か言いたげに口を開いて、だけどそのまま閉じて、ゆっくりと笑みを浮かべて、薫さんまた輝さんと俺と一緒に舞台に立ちましょうねと俺に言った。それが心からの笑みだと分かったから、僕は内心安堵して分かったと言って柏木と別れた。また天道と柏木と舞台に立つ。それはいつ頃の話になるのか僕には見当がつかなかった。

 歌うために一人で舞台に立ったとき、横に天道と柏木がいないことに何か特別な感情に見舞われるかと思ったけれど、あまりにいつもと変わらなくて僕はやや拍子抜けした。寂しいとも、不安とも何とも思わないまま歌を歌った。元々一人でこうして舞台に立つつもりだったからかもしれない。それがなぜだか元気が過ぎる喧しい男とマイペースが過ぎて周りの調子を狂わせる男と一緒になったのだ。
 天道の話は時々耳に入る。テレビや雑誌で見かける柏木は変わらず楽しそうだ。だから一人になったからと言って僕が不安を抱く要素など何もないのだ。天道は確証のないことは言わない男だ。まだまだ先のある長い自分の人生の中で必ず戻ってくるとは言いきれなかったのかもしれない。だけど僕は、なぜだか今でも天道は必ずこの場所に帰ってくると確信してならない。根拠など何もない。強いていうなら、僕たちは三人でいるのがいつしか当たり前になった。それだけだった。
 天道が帰ってくるのが先か、柏木と二人でドラマチックスターズとして活動するのが先か分からない。僕はどちらでもいいと思っている。三人が集まればまたこの舞台で歌い踊るだけだ。僕と柏木は天道に、守ってくれと言われた。約束を破るのは僕の意に反する。だから天道と柏木が来るまでしばらくは、僕がここに一人で立って歌うのみだ。

《了》