『インパーフェクト』サンプル - 2/2

『ヴィルス・ヴィーナス』
どんな人間も病気に罹らせる少年×どんな病気や怪我も癒やしてみせる少年

 日課の採血と投薬が終わって部屋の隅でぐったりしていると、誰かが勝手に入ってきた。俺の部屋に気ままに出入りできる奴なんて一人しかいないから、そっちに視線をやるのも面倒だった。
「今日もつらそうだね、ヴィルス」
「おかげさまで」
「うわ、注射跡ひどすぎ。あいつらの注射っていつになったら上達するんだろう」
 ヴィーナスは隣に腰かけて俺の肘を見て顔をしかめた。薄灰色の瞳がぎゅっと細められるのを、身体がこんなにだるいのについ横目で見て確認する。
 ヴィーナスは視界に入るどこもかしこも真っ白だ。糸みたいに細くてさらさらな髪も、陶器みたいな肌もまつ毛も、爪先も。唯一、黒目の部分は薄く灰色がかっていて、唇はちょっとだけ赤い。
 こんなに白色だけでできた人間がいるなんて知らなかったけれど、こいつが今まさに目の前にいるのが存在の証明なのだろう。
 いつも不思議な雰囲気を感じて見てしまう瞳から腕へ視線を動かすと、彼の肘には注射跡なんて一つもない。きっと大事にされているからだ。
「ヴィーナスには注射のうまい研究員しかつかないんだな」
「ううん、僕はすぐに傷が塞がるから残らないだけ。ヴィルスと同じで、毎日血を抜かれてる」
 そう言って俺の左腕に自分の右腕を並べた。注射跡も殴られた跡も、ごく小さなホクロやシミみたいなものも、ヴィーナスには何もない。牛乳の色がつるんと指先まで広がっている。
 対して俺は、こうしてヴィーナスと見比べるとつい笑ってしまう。肌はもともと薄い黄色だった覚えがうっすらあるんだけど、今は全体的に汚れたみたいに黒ずんでいて、見るからに具合が悪そうだ。
 肘にはどす黒い注射跡がびっしりとついている。右腕も同じで、研究員は跡が残るとか特に気にしてくれたことはない。昨日とは違う場所に針を刺すだけだ。
「ねえねえ、痛くないの?」
「針を打たれる瞬間は痛いけど、今は全然。見た目より平気なんだ」
 無遠慮に尋ねてくるけれど、ヴィーナスはそういう奴なので特に気にならない。研究員が言うに、他の「対象」や研究員に対しては優しく穏やかで、細やかな気遣いのできる子どもらしい――笑わせる。そんな奴はノックもなしに部屋へ入ったりしないはずだ。
 改めて、こうして同じくらいの太さと長さの腕を並べて見てみるに、俺とヴィーナスはやっぱり同じくらいの歳だ。二人とも自分の年齢は分からないけれど、研究員と比べると図体はまだちっぽけな子どもそのものだ。
 ヴィーナスは俺を初めて見つけたとき、あの子は誰だと研究員に尋ねたらしい。自分と歳の近そうな子どもを見つけられて驚いたのだろう。俺はこの施設に俺以外の子どもがいること自体にぎょっとしたけれど。
「ねえ、僕がこうしても跡は消えないの?」
「前も試したじゃん、変わらねえよ」
 ヴィーナスは注射跡がびっしり並ぶ肘の内側へ自分の手のひらを当ててみせる。ヴィーナスは俺より温かくて、手のひらがやわらかいということしか分からないし、それ以上の変化はちっとも起きそうにない。
「ふうん。やっぱ変なの」
「変とか言うな」
「だって、僕がこうやって触るといろんな人の傷や病気が治るんだ。もう何人にもそうしてきたよ」
 自分で治せないのが不服らしく、ヴィーナスはつまらなそうに唇を突き出した。手のひらはそのまま俺の肘に置かれたままで、こいつの体温が疲れ切った身体に染みていく。
 どこも痛いところなんてないけれど、なんだか楽になっていく気がして「ありがとう」と告げる。ヴィーナスはそんな俺を、薄灰色の目を見開いてまじまじと見つめてくる。
「ヴィルス、やっぱり変だよ。治ってないのにお礼だなんて」
「治そうと思ってくれたことに対しての『ありがとう』だよ」
「治ってないけどね」
 ずいぶん冷たい口調で突っぱね返される。ヴィーナスは膝を抱えて眉間に皴を寄せると、「僕でもヴィルスが治せないなんて」と煮え切らない口調で呟いた。

 人類が待ち焦がれた存在。この地に降り立った女神。救済の象徴。
 どうやらヴィーナスは研究員や「外」の人から見てそういう存在らしい。それに似たような言葉で呼ばれているとあいつは話すと、「仰々しいんだよ」と舌を出して嫌がった。
 ヴィーナスには人間の病気や怪我を治す能力があるらしい。そこに手をかざすだけでたちまち痛みがなくなっていき、病気は全部きれいな細胞に入れ替わり、怪我は跡を一つも残さずに消える。
 といっても最初からそういった神業ができたわけではなく、この施設であらゆる投薬や実験を繰り返したのちに得たそうだ。成功事例は彼が初めてで、人類が初めて生み出した「女神(ヴィーナス)」。俺からすれば男に女神だなんて、研究員たちはあまりセンスがないように感じられる。