『インパーフェクト』サンプル - 1/2

『祈りを食む』
彼氏を食べたい青年×そんな彼を治したい医学生
※サンプル内に軽度の流血描写があります

 会うたびに僕がこっちのキャンパスへ移るのを待ちきれないと銀河がはしゃいでいた三月頭のこと。春の陽気にはまだほど遠くて、僕自身にあまりキャンパスを移るという感覚がなかった時期だ。
 その日は銀河が「熱が出たからデートに行けない」とわざわざ電話してきた。声音が明らかにしんどそうで、つい「メッセージ送るだけでいいのに」とこぼしたら、「だって声聞きたかったんだよぉ」と情けない調子で返されて、申し訳ないことについ笑ってしまった。
 でも普段の銀河は健康優良児そのもので、大学は分からないけど中高の六年間はずっと皆勤賞だった。だから体調を崩したとの連絡を受けて、内心僕も意外なくらい動揺した。
「病院には行ったか? この時期だとまだインフルエンザが流行ってるから」
『行ったけど違うって。鼻にめっちゃ長い綿棒突っ込まれた! もう行きたくねぇ!』
「いや熱が下がっても必ず再診受けろよ。じゃあただの風邪か……? 他に症状は」
『んふふ、さすが信慈、お医者さんだ』
 病状を尋ねようとすると、銀河は力のない口調でへらへらしたあと、一言だけ「頭がかなり痛い」とだけ答えた。
『馬鹿は風邪引かないんじゃなかったのかよぉ信慈ぃ~』
「そんなに頭が痛いのか? それちゃんと医者に伝えたか?」
『うん。熱のせいだって。オレ三十九度なんて初めて』
「薬は飲んだのか? 明日になっても熱が下がらなかったら絶対に病院に行ってくれ。僕も付き添うから」
 医学部でさまざまな知識を詰め込んでいるせいか、脳裏には発症ケースが少ない難病ばかりがちらついてしまう。これまで本当に風邪一つ引いたところを見たことがない銀河のことだから、何か大変な病気が引き起こされたのではないか心配はますます募っていく。
 しかし、そんな僕をよそに銀河はへらへら緊張感のないままだ。正確には、調子に乗っているときのあの顔がありありと浮かぶような喋り方だった。
『信慈に移っちゃうだろ~。それにオレ、こんなひどい風邪初めてだけど多分すぐ治るよ』
「どうして」
『食欲はすげーあるから! 焼肉食いたい~次のデートはそこにしよう!』
 いくら銀河とはいえ呆れ果てて天を仰いだ。焼肉を食べたがる三十九度の病人がどこにいるんだ。しかも成長期ならともかく、成人を迎えてなおその食欲なのが驚かされる。こいつ、今でもこんなに食べるっけ。
 本人がこの調子だから少しだけ安心して、でも再度さっき言ったことを念押しして電話を切った。
 この春休みは友達と旅行する予定を三つも入れちゃった、とか話していたから、遊んでいるときに質の悪い風邪をもらってきてしまったのだろう。なおも消えない不安に蓋をしたくて、この日は無理やりそう思うことにした。

 銀河の「風邪」はかなり長引き、五日間も熱が下がらないままだった。しかし感染症の検査をしても何も陽性にならない。
 心配と不安で僕の頭はどうにかなる寸前で、強引に付き添って医者に紹介状を書くよう脅迫するか……そんな画策をしていたら、六日目に急激に平熱へ下がり、銀河はあっという間に全快した。
「二十年分の風邪が一気に来たんだなぁ」
 電話で交わした通りに後日焼肉屋へ行き、カルビを頬張りながら銀河はそんな根拠のないことをぼやきながら一人でうんうんと頷いていた。
 僕はあまり食べる方ではないから、網から立ちのぼる煙で曇りまくる眼鏡越しに、正直軽く引くほど肉を頬張ってはよく噛んで飲み込む彼を見ていた。
 「病み上がり」なんて微塵も感じさせないほどの食べっぷりにこちらが勝手に焦りを覚えてストップをかけたけど、本人はけろっとしていた。
「なんかやたら腹が減ってて。あ、自分の分はちゃんと払うからな!」
「いや、そこはいいんだけど……というか、今日は僕のおごりのつもりだった。快気祝いで」
「えっマジ!?」
「あと最低二十年は風邪引かないんだろ? 快気祝いなんてめったにない機会だから」
 あとで胃腸を壊したらどうするんだ……とは思いつつ、そう伝えたら銀河は目がなくなるくらい細めてにっこり笑ったあと、「信慈、すげぇ好き」と店内にも関わらずこちらに聞こえるくらいの声量であっけらかんと言ってみせたのだ。

 ――次の日も、その次の日も、今日に至るまで銀河は熱も出してないし腹も壊してない。いつもは今までと変わらずピンピンしている。
 でも、彼がおかしくなったのは、間違いなくあの発熱した日なのだろう。