夜通し患者の面倒を見ながら朝を迎えるのは久しぶりのことで、裏山へ雨の中登ったこともあり、カミルは疲労をずいぶん残したまま翌朝を迎えることとなった。
しかし、どんなに自分の体調が良くなかったとしても患者たちには待つ猶予などない。それに、医者の自分が態度に出してしまうことで患者が不安を覚えるのをカミルは重々承知していた。
「もうすっかり良くなりましたね。薬はもう飲まなくて大丈夫ですよ」
「先生、本当にありがとうございます。ほらエイミー、アウラー先生にお礼を言いなさい」
「せんせい、ありがとう!」
一週間前に風邪で診察に来たエイミーは、母の膝の上でカミルへ満面の笑みを浮かべる。咳込んでいたときの痛ましい表情はすっかり消えて、カミルも胸をなでおろした。
「はい、これ。お薬ちょっと苦かったでしょう。よく頑張ったね」
「わーい!」
デスクの引き出しからカミルはぶどう味のキャンディーを取り出す。子どもの患者が治った記念にいつも渡しているキャンディーが、デスクから少しずつ減っていくのもカミルは嬉しかった。次はどの味を補充しようか考えるときも。
「困ったらいつでもおいでください。雨季は食中毒も増えるから気をつけて。こちらを参考にしてください」
「まあ、助かります!」
食中毒を引き起こすウイルスが増える原因と、身の回りのものの消毒手順をまとめた一枚の紙を母親に渡す。雨季になるとカミルが患者へ欠かさず渡している資料で、図も用いて誰が見ても分かりやすいように記していた。
会計――戦争が始まって以降、正規の計算方法から少し引いている金額を受け取り、カミルは「アウラー診療所」の玄関まで親子を見送る。
「ありがとうございます。大通りまでは遠いから、アウラー先生の診療所があって本当に良かったです」
「せんせい、じゃあね!」
母親と手を繋ぎながら、空いている手をぶんぶんと元気よく振るエイミーの姿が見えなくなるまで見届けると、カミルは微笑みをたたえつつも少しだけ肩を落とした。
あの親子の家からは、確かに街一番の大通りにあるクラウディアの病院へ出るよりアウラー診療所の方が近い。しかし、そもそもの距離が遠かった。ぐったりしたエイミーを抱えて走ってきたのか、自身は雨にずぶ濡れになりながら息を切らした母親の姿を思い出すと胸がちくちく痛む。これもこの街から医者が減った影響だった。
「……よし」
空を見上げながらカミルは大きく伸びをした。今日は珍しく朝から雨は降っていなかった。どんよりとした曇り空ではあるが、雨が降り続くよりずっと気分はいい。今日は診療後に庭を軽く手入れしてもいいかもしれない。
診察室に戻ると、カミルは補充したい備品を紙へ書き記していく。山の急患へ処置を施すために包帯やガーゼ、炎症を抑える軟膏を多く使ってしまった。定期的に訪れる業者がそのメモを元に物資を遠くの市場まで買い出して届けてくれるのだが、不安定な情勢だから自分で行った方がいいかもしれない。
(あの人は大丈夫だろうか)
ふとペンを止めてカミルは気に病む。昼休憩時に一旦自宅へ戻る予定だが、患者の入りようによっては終日診療所で対応することとなる。一晩経って熱が少し下がったようだったから安心したが、まだ目を覚ます気配がないため気は抜けない状況だ。
(僕のところでどこまで看てあげられるだろう……)
アウラー診療所はカミル一人で切り盛りしている「街のお医者さん」という立ち位置で、重症患者のための大掛かりな設備は備えていない。これよりも本格的な治療を受けさせるなら、やはりクラウディアの病院がふさわしいが、「魔法遣いかもしれない」という懸念がカミルを踏み留まらせていた。
もともと食中毒の患者用に準備していた水分補給用の点滴を彼に打とう。そう思い立ち、薬の保管庫に向かおうとしたときだった。
