碧落のマグノリア - 3/34

 カミルの暮らすフルールグは、他の市街からは「花々と共に生きる街」と呼ばれている。
 トーランドの中でも南の国境付近に位置しているこの街は、冬は寒さこそ厳しいものの雪は滅多に降らない。夏の暑さと秋の雨で豊かな土壌が育ち、冷たい土の中で冬を耐え忍んだ種子たちは、春には示し合わせたように一面に咲き誇る。
 自慢の花々が原料の香水を名産地にしているフルールグは、晴れていれば通りを歩くだけでどこからともなく花の香が運ばれてくる。また、薬の原料になる薬草の流通元であるところから、トーランドの中では医学の研究にも恵まれた街だった。


 カミルは街の端にある家を改装して造られた診療所の開業医だ。本来ならば今頃、この自然豊かな街で住民を治しながら、並行してまだ治療法のない病気の研究を進めているはずだった。
 しかし、フルールグからさらに南に位置する小さな国・キースタニアとの領地を巡る戦争が始まってからはほとんどの研究は膠着している。
 トーランドの資源は軍に消費されていく一方だ。豊かな自然は軍事施設へと姿を変えていき、フルールグで収穫できる花の量も年々減っていた。さらには軍が積極的に政権へ加入していくにつれて同じ国の中でも人々の分断が起きて、他の市街ではクーデターもたびたび起きていて、治安は日ごとに悪くなっていた。
 毒ガスなどの化学兵器の研究に心血を注いでいたトーランドが、現在のキースタニアとの国境付近にあるわずかな領地の所有権を主張したのが全ての始まりだった。それに反論する形でキースタニアは爆弾を空から降らせて、地雷をあたりに埋め込んでいく。

 「氷のトーランド、炎のキースタニア」――誰からともなく呼ばれ始めた二国の国境付近は封鎖されているものの、怪我を負う一般人が後を絶たず、たった一人で営むカミルの診療所にもときどき患者が運び込まれることがあった。
 権威というもののために軍が息を巻いて奪い合っている土地は、この小さなフルールグよりもわずかに小さいくらいの面積しかない。兵器研究に力を入れ始めたのもここ十年以内の話で、戦争慣れしていない二国はこの二年でみるみるうちに疲弊している。

 ――戦争前の姿など見る影もなくしたトーランドに危機感を覚え、移民の道を選ぶ者も数多くいる。しかし、この芳しく美しい自然に恵まれたフルールグを離れがたく思う人も多く存在するのも事実だ。
 カミルもその一人だった。自分で選んで住んでいるこの街を、戦争を理由に離れるのは耐えがたいものがある。
 それに、かつては知識を共有し合い切磋琢磨した街の同業者もほとんど国外へ移ってしまった。カミルは彼らを責める気こそないが、自身がフルールグの医療を担う最後の砦である自覚を抱いており、なおさらここを離れるわけにもいかなくなった。