碧落のマグノリア - 28/34

「ドクター・アウラー、早く開けなさい! ひょっとして寝てるの!? 今日診療日でしょう!」
「く、クラウディア!?」

 まさかの来訪者に仰天したカミルは飛び上がって玄関ドアに駆け寄って開けると、寒さのせいで鼻の頭を赤くしたクラウディアが不機嫌そうに眉根を寄せていた。

「ど、どうしたんだい?」
「玄関先で済む話じゃないわ! 入るわよ、ドアはきちんと閉めて鍵をかけなさい!」

 早口でまくし立てたクラウディアはずかずかとカミルの自宅へ入るが――後ろから誰かがついてきた。
 小柄なその人物はどうやら彼女が連れてきたらしく、マントについたフードを目深に被っていて、顔はよく見えない。

「クラウディア、待って!」

 何が起きたのか全く理解できないカミルはドアをもたついた手つきで施錠したあと、家の中だというのに全速力で彼女を追った。リビングには顔を隠していないマギがいるのだ。
 しかしあと一歩遅く、クラウディアはマギと対面していた。マギは対応しきれずに椅子に座ったままだったらしく、呆然としながら彼女を見上げているが、クラウディアはマギの右頬と紫色の目を見ても特に動じていないようだ。

「本当にここにいたのね。まさかアウラーが魔法遣いを匿っているとは……」
「クラウディア、これには理由が」
「貴方と全く同じ理由なら私にもあるわ」

 弁明するカミルを軽く受け流したクラウディアは連れてきた人物の手をようやく離した。
 その人物は、まるでクラウディアに手を掴まれていたのが不本意だというように何度も手をマントの裾で拭いており、なかなか話し始めようとはしなかった。

「ひどいわね。せっかく助けたのに」
「黙れ。人間風情に恩を売られる筋合いはない!」
「その声……リヴィかっ!?」

 今度は苛立ってざらついた少女の声音を聞いたマギが椅子から飛び上がる番だった。少女の元に近寄りフードを外すと、あどけない顔立ちの女の子が彼の姿を見るなり、ひまわりよりもずっと鮮明な黄色い瞳を一気に潤ませた。

「マギ、やっぱり生きてたんだね! よかったぁ……ずっと探してたんだよ」
「リヴィ、どうしてここに?」
「お嬢さんがあそこの山のふもとで倒れていたのよ、疲労と軽い栄養失調で」
「う、うるさいっ! こうなる予定じゃなかったんだ!」

 リヴィと呼ばれた少女は顔を真っ赤にしてクラウディアに反論した。感情的になって振り上げた左腕がマントから覗くと、そこにはマギと同じ、葉脈やヒビを思わせる鮮やかな赤い紋様が裏側全体に走っていた。
 彼女もまた魔法遣いということだ。カミルが目を白黒しながら腕と瞳を見比べていると、それに気づいたリヴィが「見るんじゃないよ」と苦々しげに舌打ちした。

「それをクラウディアが見つけてくれたのかい?」
「いいえ、夫よ。雨季が終わったから薬草を収穫しに行って……彼じゃなかったらどうなっていたことやら」
「だからうるさいってば!」

 吠えるリヴィを柳に風で無視すると、クラウディアはマギをちらりと横目で見たあとにカミルと向き合った。

「聞けばこの街に魔法遣いがいるはずだって言うの。仲間が近くにいると分かるんですって。それで人のいない時間を狙って探していたら、まさか貴方のところだとは……」
「みんなが『マギはもう探すな』って言ったけど、死んだなんて信じたくなくて、コロニーから一番近い街へ出ようと思ったの」

 「死んだ」と口にしたリヴィは、それまでずっと抱えてきた不安をついに決壊させて大粒の涙をぼろぼろとこぼして泣き始めた。
 背の高いマギは愚か、クラウディアの肩口あたりの背丈しかない少女が、一人で勇気を振り絞って彼を探そうとしたのだ。憎んでやまない人間の住処にまで出て。どれだけ怖かったか想像するに余りある。
 カミルはもらい泣きしないように唇に力をきゅっと込めながらも、思わず「よかったです」と小さくこぼした。

「オレが帰らなくても探すなとあれだけ言っただろう……」

 頭を撫でながらそう咎める口調は弱々しい。マギもリヴィを頭ごなしに叱る気にはなれないのだろう。
 ただこの中で一人、クラウディアだけが冷静だった。切迫した表情でカミルに向き合う。

「感動している暇はないわよ。裏山がひどい有様なの。軍が兵器の実験をしたみたいで、中腹の植物は軒並み枯れているわ」
「そんな……っ!」
「コロニーはっ!?」

 あの裏山のどこかに魔法遣いたちのコロニーがあったのだろう。ぶるぶると唇を震わせるマギに、カミルも言葉を失う。あれだけの自然が壊滅するなんて、事態はどんどん最悪な方に向かっているようだ。
 涙と鼻水をぐしぐしと拭ったリヴィは、大きく肩で深呼吸をするとマギの両腕をしっかりと掴んだ。

「大丈夫。みんなで力を合わせて道を拓いて、誰にも見つからないように別のコロニーへ移動したの」
「そうか……良かった」
「ねえ、マギ。早く帰ろう。この人間に聞いたけど、今の時間に軍が巡回したことはないらしいの。今のうちだよ!」

 急かすリヴィに、マギはすぐに返事はせずにカミルの方を見た。
 自分やクラウディアのような医者だけではなく、フルールグの人々みんなの生活を支えてきたあの山が枯れた。それも恐らく、自分の集めたデータによって開発された兵器によって。
 とても言葉にできないくらいのショックに、カミルは息もまばたきも忘れる。そんな威力を持つ兵器が人に対しても使われる光景など、たとえ悪夢でもごめんだ。
 恐れていたことが着実に現実になりつつある。血を噴き出しそうなカミルの心は大きく傾いで、今まさに倒れる寸前だ。

 ――しかし、カミルは一度深く目を閉じた。ゆっくりとその碧眼を開いて、しっかりとマギを見つめ返す。

「マギ、今すぐにコロニーへ帰りなさい。フルールグはもう危ない」
「カミル……」
「歩くのは問題ないだろう? 魔法遣いがこれ以上傷つくのは僕も嫌だ。逃げなさい」

 わざと少し突き放したような言い方を選んで彼を急かす。同胞を案じるたびに暗い顔になって気落ちしていたマギを見送るのは、今が一番ふさわしいタイミングに違いない。
 本当はもっとマギと話したいことがたくさんあった。医学のこと、お気に入りのハーブ、お互いについて……。
 しかし現実は望む通りに動いてくれないのを、カミルはこの戦争が始まってから嫌というほど知り尽くしている。
 せめて、この場では笑顔で。取りつくろうのに慣れた表情を浮かべながら、カミルはクラウディアへ頭を下げた。

「クラウディア、すみません。少しの間、留守をお願いできるかい?」
「いいけど……今日は正午に大規模デモが行われるの、知らないの? 私も貴方も急患対応に追われるはず」
「ありがとう、すぐに戻るから――」

 突然のお願いごとに困惑するクラウディアをよそに、カミルは矢も楯もたまらずに家を飛び出した。

「カミル!」

 後ろでマギが張り裂けそうな声で呼んでくれたのを、カミルはただ背中で受け止める。この足はがむしゃらに走り出して、誰にも止められそうにない。