碧落のマグノリア - 22/34

 診療所を開いたカミルは、朝の出来事をもってしても通常通りに患者を診た。
 今朝の号外はフルールグの住民は全員目を通しているらしく、不安から肉体へ軽い症状が出ている患者も数名いた。ハーブティーにすることで気持ちを穏やかにさせる薬草を処方しつつ、カミルはクラウディアに相談しようと決めた。彼女は精神医学にもある程度知見があるのだ。
 患者がいない時間帯はずっとぼんやりしてしまったせいで、時間があっという間に過ぎていく。ストレスのせいか頭痛まで覚えていたカミルは、受付終了間際にやってきた患者を見てわずかに身体をこわばらせた。

「ルーカスさん、お久しぶりです」
「けっ、気安く名前を呼ぶな! なれなれしい」
「ちょっとあなた! アウラー先生、本当にごめんなさい」
「いいえ、こちらこそ失礼いたしました……フランツさん」

 膝や手指の関節痛を訴えている年配のルーカスがさっそくカミルを罵り、夫人に宥められる。病院を嫌う患者が悪態をつくのは珍しくないが、ルーカスの場合は事情が違う。
 カミルは困って眉尻を下げつつも、笑顔のままカルテを見返す。彼の場合、老人性ではなく免疫疾患の疑いもあったため、初診から一週間後にまた来るように伝えていたのだ。それが数カ月経った今ようやく来たわけだが。

「その後、関節痛はいかがですか? 発熱したり、ひどく疲れて起き上がれないなどの症状は出ていないでしょうか」
「そうなんです、先生。主人の調子が最近になってどんどん悪くなって……」
「やかましいっ! 今日は大病院への紹介状をもらいに来ただけだわっ」

 初診のときは持参していなかった杖で床を打ち鳴らすと、ルーカスはカミルをきつく睨みつけた。しかしカミルは臆さずに彼の杖と、今でも痛いはずの関節に注視する。
 症状が悪化しているのは非常に痛ましい。免疫疾患が確定した場合、フルールグが今でも活用している薬草での治療では限度があり、国立病院で化学療法を受けてもらわなければならない。

「今も痛いですか? 押さえると痛みが増したり、強張ったり――」
「黙れっ!」
「あなたっ!」

 杖で脛をぶたれたカミルは痛みに顔をしかめる。ルーカスはよろよろと立ち上がり、走る痛みに眉間をぎゅっとしかめるが、それでもカミルを見下ろして怒鳴りつけた。

「さっさと紹介状を書かんか」

 夫人が必死に宥めても、ルーカスの怒りは収まりそうにない。

「軍から尻尾を巻いて逃げた奴に診られるくらいなら死んだ方がマシだわい!」
「……っ!」

 カミルは硬直して絶句する。初診の際にも浴びせられた罵声だが、それでも胸がえぐれるように痛み、反論する術を見失う。

「トーランドの繁栄に貢献できん根性なしめ。軍の皆さんがどれだけ頑張っていらっしゃるか分かるか?」
「あなた、もうやめて! ごめんなさい、アウラー先生……!」
「分かりました。それでは国立病院への紹介状をお書きしますので、待合室でお待ちください」

 そう言われるのを待っていたかのように、ルーカスはフンと鼻を鳴らしてよたよたとおぼつかない足取りで診察室を出て行った。
 一緒に出て行かなかった夫人は、再びカミルに頭を下げる。少しやつれた彼女が心底申し訳なさそうにしているので、慌ててカミルは「顔をあげてください」と告げる。

「紹介状は書きます。ただ、その前に可能なら別の病院で血液検査を受けてください。あと、これから書くメモに該当する症状が出ているかどうかも確認していただけますか?」
「はい、はい、分かりました、すみません……」

 何度目かも分からない謝罪を口にしたあと、夫人が白く肉のない頬を押さえながら力なく話し始める。

「あの人、今朝の号外にも怒っていたんです。デモなんてどういうつもりだって……」
「……」
「朝からカンカンで、本当は病院も明日にしようと思ったんですが、体調が日ごとに悪くなってて」
「はい。再び来てくださって本当にありがとうございます。奥さまもどうかご無理なさらず、いつでもこの診療所へお越しください」

 それ以上の言葉を見つけられず、代わりにこの場を引きずらないようにカミルはせめて笑顔で夫人を慰めることにしたのだった。