「ではどうして……僕たちは今、共に生きていないのでしょうか」
愚問だと分かっていながらも、カミルは問わずにはいられなかった。マギに対してというより、現在も積み重なっていく歴史そのものへ。
「お前には木々や草原を刈って建てられるあの忌々しい施設が見えないのか!」
案の定マギが怒気を孕んだ声を張り上げる。勢いで身体が動いてしまい、サイドテーブルのカップが揺れてガチャンと大きな音を立てた。
二人の間に重苦しい沈黙が流れる。カミルはマギの態度に大きく動揺することはなかった。彼の指摘はまさしく自分も気に病んでいたところだったから。
「分かっています。ここ数年で軍用施設が増えた影響で薬草を取りに行く頻度も減りました」
「それだけじゃない。お前たちは自然を犠牲にするだけならまだしも……魔法遣いを邪険にした」
食ってかかるようにカミルの方へ身を乗り出して、マギは悔しげにぎりりと唇の端を噛む。カミルの予想通り、魔法遣いと人間の歴史は暗澹に向かって進んでいるようだ。
「オレたちが自然から享受している魔法を気味悪がって石を投げ、やがて拷問にかけるようになった」
肌の下に刻み込まれた魔法遣いたる紋様は、彼の表情筋に合わせて蠢く。怒りに身を震わせている生き物のようにも見えた。
「……ほとんどの魔法遣いが絶滅して、強大な力を持っていた一族も途絶えた。今いるのは、人目をかいくぐってきた生き残りだ」
――突然、マギの腕がカミルの胸元へ伸びてきて、シャツの襟を掴まれて引き寄せられた。手元がぶれて、カップの中身が少し床へ飛び散る。
間近に見える瞳にはランタンの光も月光もない。怒りに染まった暗い紫色はカミルの驚いた表情を映し出している。
喉が軽く締めつけられて苦しい。カミルは払おうと彼の手を掴んだが、マギはその指の冷たさを鼻で笑った。
「魔法遣いと見れば誰彼関係なく殺したんだ。とても口にできない、あらゆる残虐な手段で」
「……」
「しかも今度は得意の化学で人間が人間を殺しているようだな」
氷のトーランド――生物兵器の開発が進んでいくごとに、多大な犠牲をこの国は生み出している。自然も、人間も。
ただでさえ謂れなき理由で絶滅寸前まで追い込まれた魔法遣いが、戦争を始めた人間を見て募らせる感情など一つしかない。
数百年前から今に至るまで連綿と受け継がれて業火を燃やす、純然たる憎しみだ。
「最初から魔法など人間にかけなければよかったんだ。そうすればオレたちも怯えて暮らすことなんかない」
悔しそうにマギは吐き捨てる。すぐ側にいる彼との間に埋めようのない断絶を覚えて、カミルは返す言葉もない。
学校ではたった数分で学び終えた魔法遣いの歴史に、ここまでの罪が隠されていたことに対して、カミルはすぐ受け止めきれずにいた。物事の全容を受け入れていくにつれて、胸に冷たい恐ろしさが広がる。
(落ち着け……)
ショックではやる心臓を押さえながら、一度大きく深呼吸をする。冷えたラベンダーティーよりも遥かに自分の手の方が冷たい。
頭の中をあらゆる考えが巡った。魔法遣いの存在が葬られた理由、この戦争に対して感じる自分の痛み、キースタニアの人々のこと、トーランドを去っていた人たち……。
自分を含めたあらゆる人々が何かの過ちを繰り返していく中で、指針を持って生きていくことの難しさをこの上なく痛感する。
しかしカミルにとっては、この苦しみを味わうのは初めての経験ではなかった。
「マギが人間を嫌うのは、仕方のないことだと思います」
どんな苦境に立たされたとしても、これだけは大切にしようと誓った一つの信条を思い出して、自分を奮い立たせる。
「それでも、怪我が治るまではここにいませんか? 僕は医者なのでどんなに恨まれても、罵られても、今のあなたに知らないふりはできません」
声音はかすかに震えているものの、芯は通っていた。自分をまっすぐに見据える碧眼に、マギの肩が硬直して揺れる。
――減りゆく自然を求めてこそこそ暮らしていく中で、なんでこんな風に生きていかなければならないのか何度も問い、そのたびに人間を呪った。見つかったら数百年前のように拷問にかけられるのではないかと怯えていた。どうして魔法遣いに限らず、人間同士で命を奪い合うのか理解できず、軽蔑の感情を募らせた。
カミルは、自分が今まで見聞きしてきた人間像とはかなり異なる。それがマギの、彼に対する現状の印象だ。
花を用意するように頼んだときも、ハーブティーを淹れたときも、魔法を実際に目の当たりにしたときも、気味悪がるような態度をおくびにも出さない。もしそういう仕草を少しでも見せたものなら、あらゆる言葉と魔法で引っ掻いてやろうとしたのに。
「……オレに人間の側にいろと?」
挑発的な口ぶりだった。しかしカミルは臆することなく、マギから視線を逸らさずにしっかりと頷く。
「身体の回復を待ってもらわないと。この家や診療所にあるものは何を使ってくれてもかまいません」
それに。カミルはやや言い淀んだあと、クラウディアから聞いた情報を伝えた。軍の巡回がこの街に増えるかもしれないこと、国民であるはずのトーランドの人間すら警戒されていること。
軍の名が出たところでマギは目を見開いて顔をサッと青ざめさせた。魔法を持ってしても回復が難しい足を床につけて立ち上がろうとする。
「コロニーに戻らないと」
「コロニー?」
「あそこで暮らすのは限界だから次の移住地を探していたんだ。オレが戻らなくても探すなとは伝えているが……」
仲間の話になると、それまでカミルに向けていた攻撃的な態度が鳴りを潜めて顔色がすっかり変わる。それだけマギは今生き残っている仲間を大切にしているのだろう。
彼の心配が自分にも伝わってきて、カミルは少しだけ泣きたくなり眉尻を下げる。この魔法遣いの青年は、細く傷ついた身体にあまりに多くのものを背負っている。
「雨季ですから、足元の悪いあの裏山まで巡回は来ません。地元の人ですら今の時期は立ち寄りません」
おおよその予測ではあったが、カミルはあえて断定的に言い切った。マギをいたずらに脅かしたいわけではなかった。彼が無理を押して外へ出るよりも、ここにいた方が安全に違いない。
「必要なものはできる限り用意しましょう。僕も使ってくれてかまわない」
最大限の献身を意味した言葉だったのだが、さすがにそこまで言われるとは思わなかったマギは、目を見開いてカミルをじっと見つめた。
紫と青、それぞれの瞳の見つめる先が真ん中で交差する。マギは眉根を寄せて、自分の中のどの人間像とも重ならない、目の前の医者の人間を見定めようとする。
「……どういうつもりだ。オレの話を聞いて、贖罪の意識にでも見舞われたか」
疑惑に満ちた眼差しが細められる。そのつもりが完全にないと否定しきれないカミルは一瞬押し黙るが、それでもはっきり答えてみせた。
「魔法遣いと人間の歴史は、僕が謝って済む話ではない。でも、あなたへ僕なりの誠意を示すのは許してほしい」
そっと立ち上がると、カミルはマギの分のティーカップも持って優しく微笑んだ。二人分のラベンダーティーはとっくに冷めきっている。
外は真っ暗で、ランタンの吊るされたスタンドが、偶然に出会ってしまった魔法遣いと人間をぼんやり照らしている。自身が初めに言った通り、今日の夜は一年のうちのどんな日よりも長く感じられた。
「お茶、淹れ直しますね。たくさん話してくれてありがとうございました」
部屋を出ようとするカミルは、最後にマギを振り返る。不思議そうに自分を見つめたままのマギへ微笑みを絶やさない。
「僕は隣の部屋かリビングにいるので、何かあればいつでも声をかけてください」
そうして、まるで寝ている人間を起こさないようにするような慎重な素振りでドアを開いて静かに出て行った。
マギは彼が去ったあとの静けさに耳を澄ました。妙に耳に残る、不思議な静寂だ。
身体に残る疲弊感は、怪我のせいだけではない。憎しみしか抱いていない人間と初めて顔を合わせて話したせいでほとほと疲れていた。
『マギが人間を嫌うのは、仕方のないことだと思います』
『魔法遣いと人間の歴史は、僕が謝って済む話ではない。でも、あなたへ僕なりの誠意を示すのは許してほしい』
自分がいくら怒声を浴びせようが掴みかかろうが、カミルは言い返しもやり返しもしなかった。ただ穏やかかつ冷静に諭された。魔法という、人間からすれば奇妙な能力まで見せても主張の軸をぶらさなかった。
今まで同胞から言い聞かせられてきて、自分が遠巻きに見ていたどの人間とも似つかわしくなく、なんとも調子が崩される。
このやり場のない苛立ちは誰に対するものだろう。感情の全てがカミルに対するものではないことには、分かりたくなくても気づいていた。
シーツをぐしゃぐしゃに掴み、マギは歯噛みした。視界の端には、彼が置いていった花々がある。葉や花弁、蕾から放たれる清廉な空気に、ただ感情を持て余す。
「……おかしい奴だ」
胸に澱のように降り積もらせた憎しみと、命を救われた事実を自分の中でうまく共存させられなくて、マギは小さく吐き捨てた。
