碧落のマグノリア - 12/34

 ラベンダーティーを淹れたティーカップは保温性に優れた陶磁器でできている。それを二人は両手に抱えて、優しい風味だけではなくぬくもり自体も味わっていた。立ちのぼる湯気を嗅ぐと身体が内側からほぐれていくようで、カミルは一口すすってほっと一息ついた。

「人は総て新緑に萌し、野の花として咲き誇ればいずれ地に還り、芽は天を仰ぐ」

 ――マギはカップを受け取りつつも口はつけずに、ベッドから上半身を起こしたまま唐突に話し始めた。
 何気なく呟かれたその言葉の意味をなんとか頭で追って、ベッドの傍らに置いた椅子に腰かけていたカミルはおずおずと見解を口にする。

「ええと、萌して地に還るってことは、人の生死は自然と関わっている……という認識でいいのかな」
「大意はそうだ。魔法遣いは自然から特別な恵みを授かり、その力に感謝と信仰を捧げてきた」

 そこでマギがサイドテーブルにカップを置いて、左腕に貼られていたガーゼを剥がした。大きくてやや深い擦り傷をカミルが処置した箇所だ。血は完全に止まっていて、今は赤茶色の濡れた跡になっている。
 軽いが見た目が痛々しいそこへ、マギが隠すように手で覆ってみせる。消毒していない手で触っては不潔だとカミルがつい口を挟もうとしたが、きっと目的があるのだと理解してなんとか言い留まる。
 傷を覆ったままマギが何かを唱えた。トーランドでも、よその国の言語とも違うような、初めて耳にする不思議な響きだった。

 ――すると、指の隙間から、かすかな光が漏れ出ているではないか。
 カミルは眼鏡の下の目をまたたかせてから擦ってみるが、見間違いではない。

 二人を照らしている月光よりもやわらかくてかすかな光だ。それが消えて、マギはゆっくり手のひらを外す。
 患部はひと回り以上小さくなっていた。転んでできたような傷よりも小さいから、ガーゼを当てる必要もなく、自然治癒を待つだけでいいだろう。

「すごい……」

 カミルはそこを凝視したまま、今起きたことが信じられずに掠れた声で漏らした。医者になるために多くの勉強をしてきたつもりだが、魔法遣いによる回復の症例など、どんな文献でも見た試しがない。

「一体どういうことなんだ?」

 ほとんど独り言のカミルの問いかけに、マギは憮然とした態度を示しつつも答える。

「自然の力を使って、その者が持つ治癒力を高める。人間相手にも使える魔法だ。もっとも――」

 目を伏せると、彼の長いまつ毛が憂いを帯びた影をつくった。手持ち無沙汰の手は己の手首をぎゅっと掴む。力が込められた指先は少し白くなっていた。

「今生きている魔法遣いにかつてほどの力は残っていない。多くの同胞が淘汰されすぎて、この血もかなり薄まった」
「淘汰……」

 マギが治してみせた傷から顔をあげたカミルは、彼の右頬にほとばしる赤い紋様と直面する。
 ヒビ割れのような線は当初「葉脈のようだ」と思った。魔法遣いの信仰について知ると、その感想はあながち間違いではないだろう。
 学校で習った知識としては知っていたのだ。魔法遣いという存在は、生まれたときから身体の見えるところに独自の紋様が浮かんでいる、と。だから倒れているマギを見たときも「ひょっとして」と気づくことができた。
 彼が魔法遣いたりえる視覚的な証拠。魔法遣いについて知っている者の誰もが、彼の正体にすぐ気づいてしまう。

「……オレたちは数百年前まで仲良く暮らしていたらしいじゃないか」

 片頬を皮肉っぽく吊り上げるマギに、カミルは返事に窮して押し黙った。
 「オレたち」――魔法遣いと人間。カミルはこの二つの人種がどう共存していたかを知らない。学校で習ったことは、魔法遣いという存在がいたという「過去」だけだからだ。
 ただ、目が覚めて以降のマギを見ていればどういう末路を辿ったかなんて、悪い予想はたやすくつく。

「魔法遣いは占星術や錬金術など専門は分かれていたが、殊に医学に秀でる存在だった」

 きっと同胞から歴史を引き継いできているのだろう。すらすらと淀みなく語るマギの声音に、徐々に苦しげなものが混ざっていく。カミルの淹れたラベンダーティーにはもう手をつけずに、シーツをぎゅっと強く握りしめていた。

「魔法遣いは森の中や山奥で暮らしながら、街にいる人間を助けていた。『彼らもまた、自然と共に生きる生命だから』と」

 どうして魔法遣いが誕生したのか、カミルには想像もつかない。ただマギから聞くに、どのような始まりであれ、この二種類の生命は確かに共存していて、魔法遣いはその特別な力を人間のために使っていた。