天国にいきたい(再録) - 1/5

 梅雨と初夏の間の陽射しが多く入ってくる場所だった。眩しいという印象までは覚えず、様々な透き通った色を持つガラス越しに照らされた世界はまさしく荘厳の一言がふさわしいように思える。視線を移すと部屋の最奥、ステージにあたる場所の上部には大きな十字架が飾られていて、その存在に目を引かれた。首は自然と見上げるような形になって、ステージまでの光に囲まれた道へ踏み出すのにも何かを試されているような、そんな厳かな気持ちにさせられる。
知人の結婚式で教会に来たことはあるものの、人がいない状態で中に入ったのは初めてだった。どんなに静かな室内でも空調の音なんかが聞こえてくるけれど、祭壇までの道に敷かれた上品なカーペットが音を吸い込んでいるのか、この場所から聞こえてくる音なんてまるでない。耳を澄ませば自分の心臓の音すらよく聞こえてきそうだった。
 そのために建てられたのだから当たり前だが、細部に至るまで清らかな神聖さを保っている。そのせいで部屋の内部へ進むのがなんとなく躊躇われて入口付近で立ち止まっていると、最初に出迎えてくれた牧師が先に前へ出て俺たちを促した。
「見学にいらっしゃった方々は最初ちょっと遠慮されますけど、どうぞご自由にご覧になってください。桜庭さんとプロデューサーさんは後ほど内陣へご案内いたします」
「この教会はイベントにも貸し出されていて、演奏発表会といったコンサートでの利用も増えているそうですよ」
 プロデューサーが牧師の後に続いて振り返り俺たちを見る。俺たちの中で最初に足を踏み出したのは桜庭だった。今回の仕事の中心人物だから当たり前かもしれない。俺と翼がハッと気づかされたように慌てて足を踏み出したのがほぼ同時だった。

 結成から随分長いこと経って、ユニットはもちろん、一人だけでの仕事も順調に増えてきた。今回の仕事は桜庭のソロコンサート。場所は都内にある教会だ。
 見つけてくるプロデューサーもプロデューサーだけど、教会でアイドルのコンサートなんて、と最初話を聞いたときは想像できなかった。だけどこの神聖な雰囲気はバラードを筆頭にゆったりした曲によく合うらしく、評判がかなり良いとのことだ。世俗とかけ離れているせいかなんとなく厳格なイメージがあったけれど、牧師を見る限りそれはただの偏見だったと思い知らされる。
 そして、内容の意外性に素直に興味を惹かれ、見てみたいと何気なしに言ったら同行することになってしまった。極論を言えばただの野次馬のようなものだ。桜庭はなぜ、と言いたげな顔はしたけれどそれ以上否定はしてこなかった。教会でコンサートなんて滅多にない機会なのは桜庭も分かったからかもしれない。
歩きつつ辺りを見渡せば、教会に行ったことのある経験はあるものの、こんなにじっくり見たことなんて無いせいか、何もかもが初めてのようで落ち着かなかった。
 先ほど牧師が内陣と言っていた場所――ステージへ目をやると、布をかけられたグランドピアノが置いてある。左右を見ると壁の途中から金属の円筒が天井に向かって何本も伸びていた。
 目線を下ろすとステージ右側に鍵盤のついた箱のようなものが置いてあることに気づく。恐らくあれがパイプオルガンの演奏台だろう。事務所で教会でのコンサートの話をしたとき、誰かから聞いた。最新のパイプオルガンは電子機器そのもので、演奏台のみを任意の場所に移動させて演奏できるのもある、らしい。一見、何十年もの歴史を湛えたかのようなこの場所も、じつは伝統と最新技術の融合で成り立っているのかもしれない。なんだか何から何まで己の想像の範疇を超えた場所だ。
「写真では拝見していましたが、本当に立派なパイプオルガンですね」
「ありがとうございます、教会にいらっしゃる方々から好評を頂いています」
 牧師と話していたプロデューサーが俺たちを見て冗談めかして言う。
「今回はピアノ伴奏だけなの、ちょっと残念ですね」
場所が場所だ、いつもは緊張しない桜庭も流石に雰囲気に少し圧されているのか、「あまり絢爛がゆきすぎても滑稽だぞ」と眉を顰める。その言葉を受けて、パイプオルガンを背に歌う桜庭をなんとなく想像する。規模が大きすぎてピンと来なかったけれど、桜庭の歌声なら映えない楽器の方が少ないんじゃないかと一瞬思った。
「本当に綺麗ですね」
 溜め息をつきながら翼が見とれているのは幾何学模様のステンドグラスだ。近くで見ると色がより濃く鮮やかに映る。昼時でも眩しさを覚えるまでには至らないほどの優しい光を取り入れている。透明感を保ちながらもはっきりとした主張を持った赤、青、緑。俺たちの色だとなんとなく思う。
「素敵な場所ですね」
「あぁ」
「もう下旬ですけど、今ってジューンブライドの時期じゃないでしょうか」
「そういえばそうだな」
 今年の梅雨はあまり雨が降らなくて、六月という実感があまりないままに時が過ぎそうだった。雨の予感だけを持った湿気をそのままに気温が少しずつ上がっていって、もうすぐうだるような夏が来ることを報せる、そんな月だ。
ジューンブライドということも言われるまでは意識の外にあったけれど、こんなに立派な教会だ、結婚式でも人気に違いない。
「こんな素敵な場所で結婚式ができたらきっと幸せでしょうね」
「おっと! そんなこと言って翼、お相手は?」
「いませんよ。いたらちゃんとお二人とプロデューサーに紹介します」
 翼のなんだかずれた返答に拍子抜けしつつ、俺でもきっと同じだろうと考えた。幸か不幸か、仕事がたくさん入ってきている今はそんなこと考えられないけど、もしそんな人ができたら真っ先に二人に紹介するだろう。清らかな光が先を照らすこの場所にいると、明るい未来の展望を想像させられるからか、大切な人に大切な人の話をするのはとても自然な道理のように思えた。
 そういえば、この仕事のメインである桜庭は。見てみると席の方を眺めている。ぼんやりしているわけではなさそうだ。いつもの涼しげな顔に見えるけれど、なんだか話しかけにくい。集中しているのだろう。客席が埋まるとどんな場所でも雰囲気がガラリと変わるものだから、そのことをイメージしているのかもしれない。
背すじはいつも通り、棒でも通っていると思うほど真っ直ぐで変わらない。いつも何も変わらないはずの、未来を見据えている桜庭。――そのはずなのになんだか桜庭のことが気になった。いったい何が引っかかっているのか自分でも説明できないのがちょっと歯がゆくて、ちらちらと目で追っているとプロデューサーが声をかけてきた。
「桜庭さんのライブ当日、天道さんも柏木さんもギリギリ開始に間に合いそうなスケジュールではあるのですが…どうされます?」
「どうされるって…」
 翼と顔を合わせる。桜庭の、教会でのソロコンサート。見たいに決まっている。
「見られるなら行きたいです」
「俺も」
「……」
 鬱陶しそうな目で桜庭が俺たちを見たけれど、そのまま口を噤んだ。眼鏡をかけ直してプロデューサーに向き合う。
「…僕の方は特に問題ない」
「追い出す言い訳が思いつかなかったって言ってもいいんだぞー」
「君たちが来たところでやることは変わらないと言っている」
「まぁまぁ、二人とも」
「…ここだと喧嘩もちゃんと小声になるんですね」
 プロデューサーに指摘されて全員押し黙る。楽しそうに穏やかな笑みを浮かべて俺たちを見つめる牧師に何とも言えない気持ちになりつつ、改めて桜庭の方を見る。少しだけ機嫌を損ねた、唇をきゅっと結んだその顔に、果たして自分が一体桜庭に対して何の違和感を抱いていたのか、もうすっかり分からなくなってしまった。